ボランティア

9、極め付けは労働運動の潮流間差別に

大径管
 アメリカ式労務管理の導入により、新社員制度への移行によって、日本古来の年功序列型の賃金制度が破壊され、さじ加減でどうにでも出来る賃金制度に変え、会社の方針に背いたり上司の気分次第で勝手に操作できる制度となりました。こうした中で、今迄記載してこなかった重大で看過できない問題が存在し残されています。
 企業がもの言えぬ職場の専制支配を目論み、労働強化や賃金抑制を押し付けられれば、当然職場に不満が生じます。仲間同士では不平不満を言い、一杯飲んではけ口に上司や会社の悪口を言い、うさ晴らしをして実際には何もせず、諦めてしまう労働者が大部分です。しかし、会社の方針に従順に従うイエスマンばかりでなく、骨のあるしっかりした労働者がいない訳ではありません。職場からの要求を取り上げ実現したり、労働条件を改善する闘いに立ち上がり献身的に取り組み闘う真面目で勇気ある労働者も存在します。

 労働者の拠りどころである労働組合が右傾化し、会社派幹部に独占されている中で、真に労働者の立場に立って闘う、民主的・階級的な労働組合を取り戻そうと日夜奮闘している労働者も居ます。組合役員選挙には、当然立候補し当選を目指して闘うが、会社のあらゆる組織とインホーマルが全勢力を注ぎ込む会社派右派候補との対決では当選することは出来ません。連合が支配する大経営の職場に、このように真の労働者の立場で闘う潮流が存在しています。この潮流に属する人物は、概して真面目であり優秀な能力の持ち主であるが、会社はこれらの人達に徹底した差別攻撃を行ないます。その実態は活動家への徹底した差別政策の極め付けと言えます。以下は、職場に自由と民主主義を確立するため裁判に立ち上がって闘った原告が、裁判所へ提出した陳述書です。どんな説明を加えるより、説得力を持つ内容であります。

(一原告が裁判所へ提出した陳述書の差別に関わる一部)

 1966年(昭和41年)夏の組合役員選挙で初めて支部の実行委員の選挙に立候補しました。職場の人達の声や意見を組合に正しく反映させ、組合員の権利と利益を守り要求を実現させる立場から、民主的な候補者として、会社派の候補と対立し選挙に出ました。41年の選挙では、支部機関紙担当として立候補しましたが、その後毎回組合役員選挙には、職場の真の声を代表する、民主的な候補者として立候補し奮闘しています。組合役員に立候補して当選し、役員として職場の意見や要求を労働組合に反映させ、働く者の権利や利益を守り、要求を実現し働きやすい職場を作り上げるために奮闘しましたが当選することはできませんでした。

 会社は職制会議で会社派推薦候補を決め、職制機構をフルに使い、又インホーマル組織を使って成績査定を盾におどしたり壊柔し、あらゆる会社機構と手段を駆使し、労務担当係長を中心に総力をあげて取り組みます。そして対立候補である私の当選を妨害しました。投票箱の中味を入替えたり書き替えたりといつた民主主義社会ではおよそ考えられない不正も行つています。私は労働組合の役員には当選できませんでしたが、一組合員として労働者の立場から要求を取り上げ実現するため日常的に職場活動を行い進めて来ました。

   不当差別が始まる

  私は昭和41年に、前述の通り初めて労働組合役員選挙に職場の声を代表する民主的候補者として立候補しました。それまでは格別低い査定や評価を受けたことはありませんでした。昭和42年春の定期昇給を境として、俄然他の同僚と明確な格差をつけられ低い評価を受けるようになりました。しかも、私の場合はその当時では考えられない、これ以上下げてはならない下限ギリギリの極めて低い評価に落とされたのです。

昨年の役員選挙立候補に当つて、当時のN作業長より強く「考え直せ」と立候補をとりやめるよう執拗に迫られる干渉を受けました。職制が組合役員選挙に介入すること自体が不当労働行為であると主張し、撥ねつけて立候補致しましたが、賃金差別はこの指示に従わなかつたことに対する報復として明確に現われました。私に対する差別の発端はまさに組合活動への積極的な参加の時期と符号する事が目に見える形で表れたのです。

 その後不当な差別は本給部分のみならず、他の賃金部分や一時金にも及び差別は年々拡大していきました。賃金水準の低さに加えて不当な賃金差別をし、生活権を犯し他への見せしめとして私達を苦しめている会社に、強い憤りを禁じ得ません。また資格の昇格についても不当な差別を受けております。勤続29年、会社の為に献身して来ましたが現在担当職、主務二級、見習い扱いという極めて残酷といえるひどい扱いを受けています。

 また技術教育、講習、資格取得の面に関しても不当な差別扱いを受けております。25年に全員で受けさせられた玉掛技能講習修了証を、同36年に仕事上どうしてしても必要な揚重機運転士適格者証(物資運搬エレベーター)を取得しておりますが、会社は電気技能適.格者証については、他の同期生、同僚と異なり、当然受ける順番にもかかわらず、一切講習の機会を与えられませんでした。私はこのような差別待遇にたいして再三抗議を続けてきましたが、会社は一貫してこれを拒否し、本裁判提訴直前の47年9月に、慌てて講習を受けるよう指名してきました。勿論この際は率先して受講し合格しています。さらに、研削砥石車(グラインダー)の取り扱い適格者証についても作業上、安全上必要であるにもかかわらず、私を暫時排斥し47年9月になってやつとその受講を認めたという状況です。これも会社が本裁提訴の動きを察知してからです。その他昇級、昇格に深いつながりのある中堅社員教育などに至つては、勿論私にその機会が与えられたことはありません。

また職場の同僚から私を引きはなすが如き卑劣な職場管理が行なわれております。例えば上司である工長の新築祝いには、私を除いてグループの全員(この中には当日休日の人も含まれていた)が呼ばれていました。私を職場八分にしようとするN作業長の指示によるものであることは、はっきりしています。

 私はこのような差別的待遇や賃金差別に対しいろいろと抗議をしてきましたが、会社側の対応は不誠実の一語につきます。例えば、賃金差別について上司である作業長や係長にその理由を問い質すと「評価は相対的に決まる」などとあいまいなことを述べ、理由を明確にしようとしません。さらに追及すると「仕事が荒っぽい」とか、あるいは「遅劾が多い」と言つた上司もありました。私は仕事の上でも仲間の労働者に、一目も二目もおかれるだけの能力を発揮し、生産組織の一員として協調し、同僚の支持を得るよう努力してきました。

会社は昭和49年3月、春闘時交通機関のストの影響で5分間遅れたことがありました。 この扱いについて「遅刻扱いか? そうでないのか ?」問い質すと、その判断を示さずに引き伸ばして一日待機させておき、結局私に対して欠勤扱いとした不当な事実があります。私以外の人でしたら何の問題にもしなかったのでしょうが、私が組合活動家であるが故に殊更不当な差別扱いをしたのです。低賃金の為生活は苦しいが会社の責任による不当な欠勤扱いは認められず、筋を通す為現在に至るまでの12年間、49年3月分の賃金の受領を拒否し、支払いを受けていません。生活に関わる重大な問題です

昭和45年3月中旬頃、K作業長は昼休みの対談中「何故成績が悪いのか?」という私の質問に対し、「組織に入っているから悪い」と述べたことがあります。私は、会社の気にいるインホーマルには属していないが、職場労働者の権利を守り利益を護る立場で労働運動をして何処が悪いのか。どんな考えを持とうが、思想信条の自由は憲法で認められ保障されているではないか、と正論を言うとK氏は困ってしまいました。私は「思想、信条による不当な差別である」とし、会社に対し調査と善処を要求する意見書を文書で提出しました。結局この件に関しては「証拠がない」としてウヤムヤにされてしまいました。

このように私に対する不当な差別は、数えあげれば枚挙がありません。そして現在も不当差別は是正されるどころか拡大強化されています。賃金でいえば、勤続30年で年収400万円、親子四人の最低限の生活を維持するのに苦慮する水準であり、同期入社の同療の平均水準と比較して差別額は一年間に約100万円になります。私はこのような会社の見せしめ、労務管理の柱としての不当差別を早期に是正解決し、真に仕事に打ち込める、明るく働き易い労働環境が整えられるよう望むものです。その為に裁判所の公正な判断とご尽力をお願い致します。

この原告への差別や攻撃は、活動家一般の誰もが受けている平均的で、まだましな方です。悪質な例な例を挙げると、田舎の親元へ上司が訪ねたり手紙を出して活動を辞めさせるよう脅迫する。又、婚約者の家まで行き、結婚を妨害する、子供の入学や就職を妨害する等々、数え上げたら枚挙にいとまがありません。

   民主的労働運動活動家への徹底した差別政策は国策であった

 こうした真面目な活動家への差別政策は、財界労務と言われた日経連(現在はその存在と役割がなくなり2002年5月、日本経団連に吸収)が中心になり作成された制度・方針で、国策でありどの企業でも取り入れ実施されていた労務政策の柱であった。しかし、その存在は分っていたが、企業の"厳秘"資料で実物は中々入手できず明らかにされてこなかった。この基礎資料に基づき企業内で作成に関わった人物からの資料の提供で、2000年石播の差別裁判原告に寄せられた厳秘資料によると、「A(共産党員)、B(その支持者)にランクされている者の昇格について、定年までの上限を昇給・昇格に関して平均的な「標準者」が30歳代に到達する職位に設定し、それ以上昇格させない管理を行なうため、活動家個別に定年までの各年度の職能点を決めるよう会社に指示していた。」(石播「切り拓いた勝利への道」より)と、資料が示すように、活動家に対しては定年まで、平均的な労働者の30歳代の資格と賃金水準という、ひどい差別政策が押し付けられていた事実が判明したのである。現在では、種々の企業のマル秘資料が見つかり明らかになってきているが、これ程ハッキリとあからさまな表現で差別を指示する資料は珍しいと言える。

NKKでは、鉄鋼産業の特質で、昔から一日24時間三(二)交替連続勤務で、50歳代の活動家の賃金は、同期入社の同僚と比較して年間200万円も低く査定されるという、ひどい仕打ちが行なわれていた。こうした企業の労務管理の柱として、思想信条による不当な差別政策を見せしめとして、労働者間の分断を図り職場を専制支配し、憲法違反の人権侵害・不当差別が続けられていたのです。


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