ボランティア

6、ケネディー・ライシャワー路線による労働組合の懐柔・分断政策

  歴史的な安保闘争後、アメリカでは、1960年の大統領選挙で、リベラル派といわれるケネディーがニクソン副大統領をやぶり当選した。翌61年、東京生まれで日本育ち、夫人が日本人で知日家である、ハーバード大学教授という異色の学者大使、ライシャワー氏が日本大使として着任する。以後、労働界に嘗て無い懐柔路線で異変が起こるのである。

  ライシャワー大使は、それまでのマッカサー大使と異なり、労働組合幹部などの招待外交をとり、日米政府に都合の悪い安保改定阻止国民会議の分裂を生じさせた。更に、IMF・JC路線の働きかけが強まり、1966年には鉄鋼労連がJCに加盟し、以後、同盟と共通路線を歩み、いわゆる「労働組合主義」を標榜することになった。そして、春闘の先陣を務め低額一発回答のストなし春闘を定着させる役割を果たし、後続の産別はその上に幾ら積み上げるかといったゲーム感覚でマスコミが報道し、春闘の本質を見失わせる役割をを果たしていた。

  自民党政府と独占資本は、60年安保闘争とストを連発して苦慮する労働組合運動から大きな「教訓」を引き出し、本格的な反撃に打って出る。こう記述すると前項のダブりではないかと指摘する向きもあろうが、5年も経過すると陰湿かつ巧妙な攻撃で職場支配が強化され進められていく。その手法は、職場に企業防衛隊を秘密裏でなく、白昼公然と拡大強化政策を執り推進していく。企業防衛隊を職場に組織し(インホーマル組織)、アメリカ式労務管理といわれる社員制度を導入し、組織の会員には昇進・昇格(出世)・成績査定を良くして賃金を優遇し、アメを与えて組織拡大を図る。逆に、会社の方針に従わず逆らう者にはムチとして、賃金のみならず、結婚しても社宅入居は拒み、ありとあらゆる面で徹底した差別を行い、他労働者への見せしめとして”職場八分 ”政策さえ実施していたのである。

 インホーマルの組織化は、NKKでその数は、12,000人の京浜製鉄所で30〜40%であったと言われている。その会員の中から組合役員候補を立て、労使一体で労組役員の不正選挙を行なう。当然のことながら、組合役員の殆どがインホーマル組織の会員であり、ホーマルな組合役員となるので、労組幹部は会社派幹部で占められることになる。更には、選挙法を改悪し、事実上の小選挙区制とし、職場の意見を代表する民主的・良心派候補を締め出し、労使協調・会社派幹部の独裁支配体制を築いていく。

 次は何が待ち構えているかというと、労組幹部になると外遊である。アメリカの招待という形式をとり、アメリカの労組幹部との交流や視察という名目で、ハワイやアメリカへ長期外遊し、飲み食い遊びで篭絡され骨抜きにされて帰国するのであるが、それも実は全部組合費で賄われているのである。当時の経済的背景として、所得倍増計画なる政策が執られ、高度経済成長時代とあって、企業は次々に設備投資を行ない事業を拡大し組合員は増加する、賃上げも程ほどに行なわれインフレで、組合の財政も豊かな時期であった。組合役員を降りると、普通高卒では成れない係長や課長の椅子が与えられる。また、企業が親衛隊にアメを与えられたのも、設備投資で事業を拡大し役職のポストも増加し昇進・昇格や賃金での優遇が出来る、経済的な背景と基盤が備わっていたと言える。こうして民間大経営の職場では、労資協調路線を採る会社派右派幹部によって、組合の主導権が独占される事になっていった。

   国公労働運動の分散化
  1960年代前半に国公共闘の一部加盟単組で第二組合の結成が相次ぎ、国公共闘側はその挑戦を受けるようになる。具体的には、1962年から1964年にかけて、建設省、国税庁、税関、総理府統計局における組合間の対立であり、それらは当局による国公共闘系からの脱退工作や同組合員の差別的な不利益取り扱いなどの団結阻害行為(不当労働行為)が付随する場合もあった。抗争の推移は官庁で違いがあり、建設省では劣勢から国公共闘系の全建労が70年代に巻き返しに成功したが、国税・税関では劣勢のまま少数派組合に転落して現在に至る。(国交労連HPより転載)

 ケネディー・ライシャワー路線と言われるが、その方針を日本の現状に合わせ、具体的に実践したのはライシャワー日本大使である。日本に於ける情勢のもとでの労働政策は、失業や低賃金や疾病・災害等総じて労働者階級の貧困化過程を阻止することができないのみでなく、むしろ、大量解雇と賃金ストップ・労働強化および労働組合の権利の剥奪にその中心をおいた。アメリカ式の生産性向上がこういう労働政策のもとで、正に日本の現在の状況を創り出す根源を策定したと言えるであろう。私が指摘したのは労働者及び労働組合側からの見解の一部分にしか過ぎない。更に他分野に於ける一例を挙げれば、農産物購入協定は現在のTPPの押しつけに繋がり、これらは政治・経済を中心とする日本の対米従属をつよめる事になっているのである。ライシャワー氏の5年間という長期日本大使在任中、学者大使という特質から、細部に亘りあらゆる面で日本に対するアメリカ支配の強化、対米従属という日本の主権に関わ大きな負の遺産を残して去った人物として、後世に語り継がれるであろう。


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