ボランティア

5、1960年を起点として資本の本格的反撃が始まる

  1)資本の総力を挙げての巻き返し

 自民党政権とその裏にあって実質的に日本を支配している財界は、安保条約改定を強引に通したが、この闘いの先頭に立ったのは、労働者や学生・青年であり、全国的で国民的な闘争に発展していきました。安保条約は強硬採決で国会を通過したが、歴史の流れはそう簡単に収まりはしない。資本の側は、この闘いの中で実は闘う労働者を多数生み出し、優秀な幹部を育てると言うリスクを負っていたのである。
 一方労働界は、総評がまだ一定にまともな時期であり、社会党を中心とする勢力が執行部を握り、下部組織にも影響力を持ち一大勢力として、労働運動も高揚していた情勢でした。同時期、私が勤務する日本鋼管(株)(以下「NKK」という)では、春闘の賃上げ闘争が行なわれ、回答が不満として49日間という長期のストライキが行なわれました。これは労資のチャンピオン方式で、鉄鋼ではNKKのみのストライキであり、労組は鉄鋼労連が支援し、資本の側は鉄鋼連盟がNKKを全面支援し、鉄鋼資本対鉄鋼労働者の総力戦の形になりました。NKKが受注した製品の納入は出来ませんから、他社が製造した製品をNKK製品として出荷するという資本間の協力体制を採り、NKKのストを支えて持ち堪える労資の決戦場となりまた。賃上げの前進はなく、結局労組側の敗北という形で終わり、以後半世紀以上ストライキは一度も打たれず経緯し、現在もなお継続している状況が続いている。

(総資本対総労働の対決=関が原の決戦は、時代の趨勢で、石炭から石油へと燃料が代わるエネルギー革命と言われた三井三池の大闘争が挙げられるとは思いますが)

  2)経営側の策動は裏で着々と進められていた

 このストライキを、資本は手をこまねいて見ている筈はありません。正面からつぶす事はできず、内部から切り崩す戦術を考え、裏で着々と準備を進めていたのです。共産党から除名された、三田村四郎・鍋山貞親・佐野学等がつくった、「労働研究所」を活用し、密かに企業親衛隊を教育・育成していたのです。NKKでは主に「三田村労研」が利用され、今でもその流れは続いているのです。新選組よろしく企業防衛隊として組織し、金を使いアメを与えて組合員の内部に着々と勢力を拡大し、準備は進められていきました。そして時機を見て、職場の内部からストライキ反対の声を挙げて決起させ、ストライキを内部からつぶし、労組側敗北という結末をつくりだしたのである。

 ここでは、NKKという企業を典型として一例に挙げたのであるが、労働者の間に楔を打ち込んで分断し、労働者同士を闘わせる、利潤追求のために資本はどんな策謀をも辞さない構図がハッキリ見えるというものです。大企業は勿論中小企業を含めて、闘う労働組合を潰し弱体化させるため、財界労務である日経連の方針のもと、職場にインホーマル組織をつくり、組合の弱体化乃至は企業側が乗っ取るということが、全国的に公然と進められていった。そして、会社派右派幹部は労働組合としてはタブーであった労使協調路線へと、まっしぐらに転落して行ったのである。


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