ボランティア
24、闘 い 抜 い た 2 年


JMIU昭和メディカル神谷不当解雇撤回争議

    (2006年1月20日〜2008年2月13日   2年)


T、 は じ め に

表紙
  昭和メデイカル神谷不当解雇争議の発端は、株式会社昭和メデイカルサイエンス(以下、「会社」)で働く神谷浩人さんが、低賃金で職場にサービス残業が横行しているのを改善するために労働組合を勉強しようと、05年2月にインターネットで”労働組合”を検索中に町田地区労働組合協議会(以下、「町田地区労」)を知り問い合わせました。
 町田地区労は、当時、町田地区労の幹事をしていた佐瀬和雄JMIU神奈川地方本部執行委員(以下、「JMIU神奈川地本」)から、JMIU神奈川地本では、一人でも誰でも入れる労働組合、「かながわ地域支部」を造り活動をはじめた事を知り神谷さんを佐瀬さんへ紹介してくれました。
  神谷さんは、05年3月にJMIUかながわ地域支部に加盟し、JMIUの組合員テキスト「くらし・職場・政治と労働組合」や神奈川県商工労働部発行の「労働手帳」などで、佐瀬さんやかながわ地域支部の組合員と勉強をしながら職場に組合をつくろうとJMIUに加入し働きやすい職場と労働者の生活と権利を守る活動に取り組みました。05年8月31日から9月14日にかけて「職場のサービス残業」を無くすためにアンケート活動を行いました。さらに、05年12月13日に東京都八王子労働基準監督署町田支署(以下「町田支署」)へ「サービス残業による未払い賃金の支払い」を求めて申告をしました。
 会社は、この一連の取り組みに対して見せしめ的報復として、06年1月20日に「職歴一部不記載、無届け残業、就業規則違反」との理由で懲戒解雇した事件です。

              ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

              【 昭和メディカルの会社概要 】

        名 称 : (株)昭和メディカルサイエンス
       本 社 : 東京都町田市鶴間541番地2
       創 立 : 昭和25(1950) 年 9 月 (財団法人 横浜微生物研究所)
       設 立 : 昭和54(1979) 年 4 月
      資本金 : 3,000万円
      代表者 : 代表取締役社長  氏 家   永
      社員数 : 600人
      事業内容: 臨床検査受託全般( 生化学・血液学・免疫血清学
               微生物学・一般検査・病理学・内分泌学・薬物
              公害関係・遺伝子・R I 検査 ) 健康診断事業

              ◇   ◇   ◇   ◇   ◇
                  

U、昭和メデイカル不当解雇争議の概要と特徴

1、 オーナー経営による前近代的な労務管理で、職場に24時間従業員を監視するカメラがと取り付けられていました。

2、低賃金で残業をしたけれど、20時間で足きりされサービス残業になってしまうので何とかしたいと思い、インターネットで「労働相談コーナー」ヘメ一ルをしたら、町田地区労から返事がきました。

 3、サービス残業を無くそうとアンケート配布が発覚し、05年9月28日から10月1目まで連日、上司の安藤部長と菅俣次長に呼び出され、「無記名アンケート配布は、服務規程違反」だと厳しい追及を受けました。

 4、面談の際に、菅俣次長は、氏家専務から[会社の全財産をかけても神谷をつぶせ]と云われていると発言。さらに今やっている仕事を誰かに引き継げ、来週には処分を決定すると脅しを掛けました。

 5、05年10月4日、JMlU神奈川地本は、会社へFAXにて処分をさせない事を主な内容とする、「神谷浩人組合員の組合加入と団体交渉の申し入れ」を行いました。

 6、会社は、FAXの回答で「昼夜を問わず匿名で:文書を会社の設備を利用して配布されており、就業規則上から調査をした、本件に関する処分は団体交渉の対象にならない」との態度が続き、05年1 1月8日の団体交渉まで、約 1ヶ月費やしました。

 7、2度の団交で、サービス残業の支払いを要求したが、支払う態度が見受けられないので労働基準監督署へ申告する事を会社へ伝えました。05年12月13日に東京都八王子労働基準監督署町田:支署へ「過去2年分の未払い残業代の申告」をしました。

 8、06年1月19日、労基署町田支署へ要請、担当官いわく「05年12月19日に会社の労務担当者を呼び事情聴取し1月31日に会社が、未払い残業代の支払いについて労基署町田支署へ報告を約束した]と報告を受けました.

 9、06年1月20日午前11時ごろ、突然、神谷組合員が、安藤部長と菅俣次長に呼び出され「就業規則違反、経歴詐称(職歴一部未記載)、無届け残業をした」との一方的理由で懲戒解雇を通告された。

10、1月30日、2月13日の2回、団体交渉で懲戒解雇撤回と未払い残業代の支払い要求をしたが、会社が応じようとしないので、不当労働行為で申立をすると通告しました。

11、06年3月2日、神奈川県労働委員会(以下「県労委」)へ不当労働行為で申立しました。

12、会社は、県労委では、経歴詐称を基本にした主張をしました。会社の顧問弁護士の熊弁護士は「これだけは知っておきたい、ダメ社員の辞めさせ方」という本を出し、中小経営者へ講演をしています。

13、困難な一人争議でしたが、当初からJMIUかながわ地域支部が支えてきました。

14、解雇後、勤務していた町田事業所門前宣伝が継続的に行われ会社を追い込んできました。此の宣伝には、支援対策会議の人達が支援してくれました。

15、昭和メディカルと取引のある神奈川の病院要請を行い、要請先の病院から会社へ「早く争議を解決するように」との働きかけも有りました。

16、07年5月30日、県労委から会社を不当労働行為と認定する、「労働者救済の完全勝利命令」が交付されました。

17、07年6月13日、会社は、命令を不服として中央労働委員会(以下「中労委」)へ再審査申立を行いました。中労委では、県労委の担当弁護士から経営法曹会議の中心的な弁護士へ差し替えられました。

18、会社の主張は、中労委では、就業規則違反に争点を切り替えてきました。

19、08年2月13日、中労委から県労委の命令を尊重する「和解勧告書」が提示され、労使が合意して解決しました。


V、闘 い の 目 標

  不当解雇を撤回させ、昭和メデイカルの職場にJMIUの組合をつくり、働きやすい職場と労働者の生活と権利を守る砦にし、職場の自由と民主主義を実現させる。

   そのために

   @ 見せしめ的な懲戒解雇を撤回させ、現職復帰を勝ち取る。
   A 不当労働行為をやめさせ、自由にものが言える民主的な職場をつくる。
   B サービス残業をなくし、労働者の生活と権利を守り、労働条件の向上をはかる。

      として、第三者機関の神奈川県労働委員会へ申立を行いました。


W、到 達 点

1、07年5月30日、神奈川県労働委員会から、会社を断罪する労働者救済の完全勝利命令が交付されました。

      県労委命令の主文の趣旨は

 (1)被申立人は、申立人全日本金属情報機器労働組合神奈川地方本部かながわ地域支部に所属する組合員神谷浩人に対する平成18年1月20日付け懲戒解雇がなかったものとして取り扱い、次の措置を講じなければならない。

@ 神谷浩人を原職に復帰させること。
A 神谷浩人に対し、上記解雇がなかったならば支給されたであろう賃金相当額に
    年率5分相当額を加算した額の金員を支払うこと。

 (2)申立人は、本命令受領後、速やかに申立人に陳謝文を手交する。

                     記

  当社が、全日本金属情報機器労働組合神奈川地方本部かながわ地域支部に所属する神谷浩人組合員に対し行った平成18年1月20日付け懲戒解雇は、労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であると神奈川県労働委員会において認定されました。今後、このような行為を繰り返さないようにいたします。

      加えて上記謝罪文を手交せよと、異例の命令が交付されました。

2、08年2月13日、中央労働委員会の和解案では、神奈川県労働委員会の命令を尊重した『和解勧告書』が提示され、労使双方が受諾し解決しました。

   その内容は、

@ 会社は、神奈川県労働委員会の不当労働行為の認定を受けたことについて、遺憾の意を表明する。
A 神谷浩人に行った平成18年1月20日付け懲戒解雇を撤回する。
B 神谷浩人は、平成18年1月20日付けで円満退社する。
C 会社は、解決金を支払う。

     という、中労委和解で解決しました。


X、闘 い の 経 過

                     1、職 場 か ら の 闘 い

門前宣伝
                              06年1月20日、午前11時ごろ、突然、神谷組合員が、安藤部長と菅俣次長に呼び出され「就業規則違反、経歴詐称(職歴一部未記載)、無届け残業をした」との一方的な理由で懲戒解雇が通告され、神谷組合員は、安藤部長と菅俣次長に両脇を抱えられ、力ずくで職場から放り出されました。

 1、神谷組合員から連絡を受け、JMIU神奈川地本は、早速、会社へ抗議文をFAXしました。

 2、JMIU中央と神奈川労連へ抗議文の依頼をしました。会社へ抗議のFAXが殺到し、会社がFAXの電源を切る事態も生じました。

 3、1月23日から3日間、町田事業所門前で抗議と支援要請のビラを配布し、就労闘争を行いました。

 4、以後も隔週で門前宣伝を行い、ハンドマイクで音を出し職場労働者へ事件の内容を解り易く伝え、支援を呼びかけると共に、職場要求を取り上げ労働者を励ましました。

  5、会社は、毎回門前に監視人を2〜3人立て、受け取ったビラの回収をすると同時に、門前に監視カメラを3台設置する等、宣伝の妨害を行ないました。

 6、会社は、団交申し入れに対して、私服警官を呼び、門前宣伝についても町田警察署へ連絡し、パトカーやバイク・自転車でのパトロールで警察官の介入がありました。これには、「民事不介入」で抗議し、機敏に対処し介入を許しませんでした。

  7、事業所門前宣伝の回数が増えるにつれ、ビラを2枚、3枚を欲しいと合図を送る人も出ました。さらに、JMIU神奈川地本に詰めていた神谷組合員を訪ねて来て職場情勢を報告してくれる方も現れました。

 8、氏家社長宅を4回訪問し、早期解決を求める要請を行なうと共に、団体署名を累計で、2,150部、手渡しました。

  9、門前宣伝を継続的に行い、支援者もマイクを握り会社へ抗議し、職場の方々へ支援を訴えました。


2、法廷闘争(県労委・中労委での取り組み)

              
         【 神奈川県労働委員会 】

@ 06年3月2日 不当労働行為で申立
   調査:3回、審問:4回、和解:3回、審問促進要請:5回、

A 昭和メデイカルでのアンケート配布活動が発覚し、部長や次長に連日呼び出しを受け、追求された内容を克明に記録、また、団体交渉に至った経過も記録し、その内容を証言しました。

B 熊弁護士事務所での交渉内容を記録し、その内容を証言

C 07年3月7日に結審し、3月30日、4月19日、5月10日の3回、命令促進要請行動を行い、累計で1,980団体の署名を提出しました。

D 弁護団と事前に綿密に打ち合わせを行い、審問に臨みました。

E 07年5月30日 和解交渉が決裂し、2ヶ月間という早い時期に職場復帰の労働者救済の完全勝利命令が交付されました。

             【 中央労働委員会 】

@ 07年6月13日、会社が県労委の命令を不服として再審査の申立を中労委へ行う。

A 労働者委員へ事前に、県労委での取り組みや会社の行った不当労働行為と団体交渉の内容や命令書の内容を詳しく説明しました。

B 途中交代した労働委員へも資料を提供し事前説明を十分に行いました。

C 県労委との二番煎じにならないように証人を交代しました。

D 補佐人にJMIU以外の、元NKK京浜のOBと元東芝争議団の方に加わって頂き、層を厚くしました。

E 弁護団と補佐人の打ち合わせを、審問前や和解調査の前に補佐人合同で綿密に行いました。

F 神奈川県労働委員会の命令を尊重した「和解勧告書」が提示され、労使双方が受諾し解決しました。


3、社会的包囲の闘い

                           昭和メデイカルは、厚生労働省の認可事業として人間の血液や尿など、最新鋭の検査機器で臨床検査を行い広く市民の健康と医療に深く関わり、特別に社会的責任(CSR)とコンプライアンス(法令遵守)を求められる企業です。対策会議は、こうした企業の特質を捉えて、会社を社会的に包囲する効果的な行動を組み立て、多彩な運動を展開しました。

 @ 厚生労働省や監督官庁への要請
  厚生労働省(2回)を初めとして、東京労働局(2回)や労基署町田支署(7回)へ、粘り強く赴いて監督官庁の指導・監督責任を追及すると共に、争議解決に向け指導力を発揮するよう強く要請しました。
 
 A 自治体への要請
 会社の登記上の所在地である横浜市(3回)や主事業所のある町田市(4回)への要請を行い、行政として出来る最大限可能な方法を知恵をしぼって考え、争議解決に力を発揮するよう要請を行ないました。
 
 B 会社が加盟する上部団体への要請
 会社が加盟する社団法人日本衛生検査所協会(以下、「日衛協」)本部へは2回要請に行きましたが、事務局は要請を受けるどころか要請書さえも受け取らず、門前払いという非常識な対応をしました。
対策会議はこれを受けて、日衛協の副会長事業所への要請を手分けして行ないました。

 C 背景資本への要請
 背景資本である三井住友銀行本店・主取引先の横浜駅前支店(4回)への要請を行いました。支店長は、社長へ直接要請の趣旨を伝えてくれました。

 D 病院への要請
  神奈川にある昭和メデイカルと取引のある病院へ直接要請し(9箇所)、更に、東京・千葉・埼 玉・栃木の病院へも要請文を郵送で送付しました。要請を受けた病院では、会社の役員を兼務する営業部長を呼んで事情を聞いたり、会社へ要請の有ったことを伝えます等、多くの病院が協力的に受け止めて対応し、こちらが励まされる行動となりました。

 E 事業所周辺への宣伝
 07年8月21日に町田事業所周辺の地域宣伝を行い、14団体25名の方々のご支援で2,000枚のビラ配布宣伝を成功させる事が出来ました。

 F 共同行動による相乗効果
 これらの行動は、JMIU神奈川地本傘下のノイズ・サンアイ・IBMや東芝争議団との共同行動として取り組み、相乗的に発展させる事ができました。多くの皆様に支えられ、多彩な運動・行動を展開し成功させてきました。


Y 、勝 利 の 要 因 と 教 訓

勝利報告集会
 JMIUかながわ地域支部を中心とした、支援対策会議が早期に結成できたこと、JMIU神奈川地本をはじめ、他の労働組合や民主団体、善意ある個人の方々が最後まで闘いを支援して頂いた事が力となり勝利の要因でした。これまで、職場での闘いや労働委員会での闘い、社会的包囲や共同行動での闘いを整理しまとめて来ましたが、そこから早期に勝利解決した教訓を探り総括してみたいと思います。

1、支援対策会議が果たした役割

  06年3月31日に町田地区労や町田生活と健康を守る会の方々の協力を得て「昭和メデイカル神谷不当解雇撤回支援対策会議」を結成し、JMIU神奈川地本以外の町田地区労や神奈川争議団共闘会議に加盟し、勝利した経験を活かして、元NKKOB、小田急OB、元臨港バス、東芝、日立、神厚労相模原協同病院労組の方々に事務局に入って頂き、解決するまで責任を持った組織として活動してきました。

@、県労委命令が出されてから昭和メデイカルと取引の有る病院要請を強めました。県労委や中労委の推移を見ながら会社の出方などを分析し、情勢に照らして適時事務局会議を開催し、効果的な闘い方について相談しました。

A、 昭和メデイカル争議は、当初JMIUかながわ地域支部が中心になり闘いを進めてきたが、争議支援には組合員だけでなく、争議団や争議団OBで闘争経験豊富な人達が多支援に駆けつけてくれました。門前宣伝等のチラシ配布にも大勢の人が参加してくれまたが、支援の人達にもマイクを握って演説してもらい、支援の広がりを会社に見せ付ける事ができまた。同時に、組合外部の支援者にも要請し、対策会議事務局に加わってもらい、事務局体制を補充し、強力な体制を整備しました。

B 対策会議の果した有効性
毎回の事務局会議には、新たに加わった事務局員も参加して開催、争議経験に基づく神谷争議の実情に即した貴重な意見が出され、方針や戦術が提起・論議され、行動が具体化されて運動は広がり実施されて行きました。そうした中で、相乗効果を生み新たな運動の前進をしました。

イ、事務局参加者からの呼びかけで、昭和メデイカル争議の経過や到達点が組合事務局員以外の人達へも宣伝・理解され、行動参加によって支援の輪が広がりました。

ロ、JMIUや町田地区労、経験豊富な争議団OBなど外部からの参加によって、会議で決めた方針は任務も分担され確実に実施され、対策会議の組織的強化に繋がりました。

ハ、支援の広がりの中で、原告に対する精神的支えの役割を果しました。

C 県労委の段階では、補佐人は組合関係者のみであり、他の支援参加者との間に一定の距離感が残り、広く支援の輪を広げる力べになっていました、しかし、中労委の段階では、組合員以外の事務局員を補佐人として申請し、和解交渉に加ってもらいました。大勢の組合員以外の支援者が参加する中で、支援者の代表が交渉に参加する姿を見て参加者に安心感を与える結果につながりました。
  支援対策会議に、組合員以外に争議を勝たせる一点で共通した要求を持つ方々に役員として参加してもらう形態は、従来の組合争議に新たな発展方向を示すものとなりました。

D 早期解決が他の争議の励ましになった。
  昭和メディカル神谷不当解雇争議の早期解決は、JMlU神奈川地本傘下で闘っている争議組合や神奈川争議団共闘会議に加盟の各争議団への励ましとなりました。

2、弁護団との団結

@ 弁護団と団結し、原告だけでなく組合関係者を交えた弁護団会議を適宜行い、会社の主張立証に対応した的確な主張・立証を綿密に行い、県労委での労働者側完全勝利命令を勝取る要因となりました。この初審での勝利命令の果す役割は重要でした。

A 和解交渉に臨むにあたっても、事前に綿密な打合せ行い任務分担を決め、具体的に対応しました。

3、争議の早期解決を目指す方針の決定

 @、 対策会議は、争議は本人が主人公であり、解雇争議は職場復帰が基本である事を目標に追求すると共に、本人の意思を最大限尊重して原則的な闘いを進めました。

 A、対策会議は、現在の政洽情勢(労働法制改悪の動き等々)、労働界の状況、県内の複雑な事態や個人の健康状態等、情勢分析を重視して総合的な力関係を慎重に分析判断する事に努め、解決の方針を模索しました。

 B、 第三者機関である県労委の勝利命令を有効に活用し、社会的包囲の運動を強化して会社を追い詰め、中労委和解で2年1ヶ月という短期間に争議の勝利解決を果しました。

4、財政・生活対策の取り組み

  会社は、懲戒解雇という不当な攻撃で、無収入という生活上も経済的に不利な条件を突き、兵糧攻めで争議の長期化を画策しねらっていた。原告側は会社の悪質な意図に対して、財政・生活対策に取り組み長期戦も視野にいれて検討し、闘いの方針を決め打開を図ってきました。

  (1)闘争資金のカンバ・借り入れに取組む

   組合組織や善意の支援者に呼びかけてカンパ活動に取組むと共に、解決時には返済する借り入れ金を募り、団体・個人に依拠して闘争資金と本人の生活援助に充てる事ができました。

  (2)また、「生活と健康を守る会」役員の協力を得て、争議申の生活を保障する為の生活保護の申請を行い、粘り強く行政との交渉を行なったが、厳しい受給条件に阻まれて受ける事はできませんでした。
   しかし、都営住宅家賃の減免措置等を勝取り、経済的・精神的支えを得て争議に集中出来る一定の条件整備に役立てる事ができました。

5、主 な 取 組

主な取組


Z、今 後 の 課 題

  争議は、会社を追いつめて解決しましたが、職場復帰はなりませんでした。中労委の「和解勧告」で、神奈川県労働委員会から不当労働行為の認定を受けたことについて、遺憾の意の表明と懲戒解雇を撤回させ解決金の支払いをさせ集結ました。
 これから神谷組合員の新たな人生の出発がはじまります。不当解雇争議に勝利解決したという貴重な経験と教訓を生かし、今後の生活に役立てることを期待してやみません。
 しかし、争議中に体調を崩した事もあり、焦らずに体調を整えてしっかりした仕事に就けるようにアドバイスをしていく必要があります。今後も、皆様の暖かいご支援を賜りますよう宜しくお願い致します。



[、 昭和メディカル神谷組合員不当解雇撤回争議勝利解決へのお礼

 08春闘勝利、平和と民主主義を守り組合員・市民の諸要求実現目指して日夜のご奮闘に敬意を表します。長い間ご支援頂きました昭和メデイカル神谷組合員不当解雇撤回争議が、二月十三日に中央労働委員会(以下「中労委」)で和解解決を致しました。
今回の中労委の和解案は、神奈川県労働委員会(以下「県労委」)の命令を尊重した『和解勧告書』が提示され、労使双方が受諾し解決に到ったものです。

  その内容は、

@ 会社は、神奈川県労働委員会の不当労働行為の認定を受けたことについて、遺憾の意を表明する。
A 神谷浩人に行った平成18年1月20日付け懲戒解雇を撤回する。
B 神谷浩人は、平成18年1月20日付けで円満退社する。
C 会社は、解決金を支払う。

 昭和メデイカル不当解雇争議は、05年8月31日から9月14日にかけて「職場でのサービス残業」を無くすためにアンケート活動をおこなったこと。
さらに、05年12月13日に東京都八王子労働基準監督署町田支署へ「サービス残業による未払い賃金の支払い」を求めて申告した事への見せしめ的報復として、06年1月20日に「職歴一部未記載、無届残業、始末書不提出」との理由で、「懲戒解雇」した事件です。
 神谷組合員と組合は、直ちに県労委へ申立を行ないましたが、07年5月30日に県労委は、昭和メデイカルサイエンス(以下「会社」)の神谷組合員不当解雇事件を、労働組合法第7条第1号及び第3号に該当する不当労働行為であると認定し、労働者完全勝利の救済命令を交付しました。会社は、県労委の命令を不服として、07年6月13日に中労委へ再審査申立を行ったものです。

 会社は、厚生労働省の認可事業として人間の血液や尿など、最新鋭の臨床検査を行い広く市民の健康と医療に関わり、社会的責任(CSR)とコンプライアンス(法令順守)が求められる企業です。
 組合と対策会議は、一日も早い争議解決をめざし、厚生労働省への要請を初めとして、職場へ支援呼びかけの門前宣伝行動、背景資本である三井住友銀行本店・横浜支店への要請を行いました。又、登記上の本社がある横浜市や主事業所のある町田市への要請、会社が加盟する社団法人日本衛生検査所協会への要請、神奈川にある昭和メデイカルと取引のある病院要請など、多くの皆様に支えられながら多彩な運動を展開してきました。
 二年一ヶ月に亘る闘いでしたが、神谷組合員は、職場に組合を造り労働者の生活と権利を守る活動に取り組み、不当に解雇されましたが、多くの皆様に励まされながら争議解決という貴重な体験を致しました。今後は、この経験を活かして未解決争議の支援や組合活動にいっそう励むものと思います。
物心両面にわたる皆様の暖かいご支援に心より厚く御礼申し上げます。
                  以 上

                                2008年2月吉日

   全日本金属情報機器労働組合神奈川地方本部 執行委員長 河原 健二

   全日本金属情報機器労働組合神奈川地方本部
                  かながわ地域支部 委員長 勝又 荘蔵

   昭和メデイカル神谷不当解雇撤回支援対策会議  議 長   庄司 幸三

         弁  護  団 ・ 三 竹 法 律 事 務 所      三竹 厚行

                       々           鈴木 英彦

                       々           石坂  想
 

民宿「青い空」


\: 【 解決へのメッセージ 】

解雇争議の解決によせて
      昭和メディカル神谷不当解雇撤回支援対策会議 議長 庄司 幸三

   組合員となって約3年、争議となってから2年を超える間、神谷組合員の生活を支
えるカンパに加え社前ビラ宣伝や各種要請への参加など、物心ともにご支援を頂き誠
に有難うございました。
 理不尽な懲戒解雇を断行した会社に反省を促し、中労委の和解斡旋で和解が成立
し、解決することが出来ましたことを皆様に心より厚く御礼を申し上げます。JMIUの組
織拡大推進の一翼を担う一人として、産別の壁を越えた職場で新たな組合員が仲間
になった喜びは今も記憶に残ります。
  しかし、残念な事に程なく事件が発生し争議に発展しました、未組織からの組織化
に力を入れていた事もあり、組合員の教育も大変重要であることを、再認識したことを
記憶しています。
  規制緩和のもと進められてきた結果、現在進行形でワーキングプアや格差社会が
問題となっています。無権利状態に置かれ、健康を損なうほど長時間労働を強いられ
る社会になっています。神谷争議は、労働者のあたりまえの権利を主張したことが、争
議に至った事例でありました。
  労働者があたりまえに暮せる賃金や、労働条件を主張できる職場環境が大切です。
神谷組合員のようにあたりまえの主張をして、生活の基盤を奪われる状況は健全であ
るはずがありません。労働者が権利や地位を守る闘いに立ち上がるとき、皆様ととも
にJMIUがいつも併走している組合でありたいと思います。神谷組合員も争議が解決
したとはいえ、今後の方向が決まるまで、暖かく見守って頂きたくお願いいたします。
最後に皆様のますますのご活躍をお祈りいたします。


昭和メディカルサイエンス争議の勝利解決にあたって
                           弁護士 三竹 厚行

  従業員数百人規模の会社に現れた、たった一人の組合員に対し、会社が処分を連
発して解雇したこの事件は、典型的な組合つぶし事例でした。実際には組合と神谷組
合員が追求した低賃金・サービス残業の実態暴露を恐れて会社が解雇したことを、労
働委員会の場で追求し、県労委勝利命令に続き中労委で組合主張を正当とする和解
に至りました。
 従業員を低労働条件で稼働させている点で昭和メディカルサイエンスは偽装請負や
名目的管理者問題と同様の問題を抱えています。
 今回の解決は、会社がまさに恐れたように、組合活動の展開によって職場が変わり
得ることを示しました。
 会社は、労働条件改善を提言する者を会社運営の妨害者として排除することは許さ
ないこと、それは会社の建設的発展を妨げることを学ぶべきです。
 今回の解決は労働委員会闘争や諸行動に結集された皆さんの団結力と、神谷さん
の奮闘に、心から敬意を表します。


不当解雇をはねかえした勝利、おめでとう!
             全日本金属情報機器労働組合(JMlU)
                    中央執行委員長 生熊 茂美

 神谷さん、不当解雇に屈せずにたたかいぬいての勝利解決、本当におめでとうご
ざいます。そして、ご苦労さまでした。また、たたかいを支援していただいたすべての
仲間のみなさんに、心からお礼を申し上げます。
 神谷さんは、昭和メディカルで労働組合づくりをすすめていたとき、会社から「組
合づくり」をつぶす目的で解雇されました。
典型的な不当労働行為による解雇です。それから2年余り、生活困難もふくめて犬
変な苦労があったでしょう。「会社の解雇は間違っている」、「こんな不当なことは認
められない」とがんばってきたのだと思います。
  労働争議は、始まったときの「許せない」という怒りが持続するかどうかが、勝利
への分かれ道になると思います。もちろん、周囲に支援してくれる仲聞かいなけれ
ば持続できるはずがありません。
 神谷さんも、労働者の連帯をつかんだと思います。これからも、この経験を力にし
てがんばりましょう。


神谷さん解決おめでとう!
             JMlUかながわ地域支部 委員長 勝又 荘蔵

 会社のサービス残業の蔓延と、働いている人達の無権利状態を、何とかしなけれ
ばの思いを胸に労働組合に加入をして、一から勉強を始めたことに敬意を表します。
会社け、神谷さんの、良心と勇気ある行動に牙をむき出して挑戦して来ました。
職場での、アンケート活動に端を発して、会社は、監槐カメラで神谷さんを突き止め
てから、執拗に就業中に呼び出して、労働組合への加入について、追求をし、嫌が
らせを始めました。
 団体交渉を通じて、粘り強く会社を追い込んできました。特にサービス残業につい
ては、労働基準監督署に申告をして、会社への立ち入り調査で他の労働者への支
払いや改善など、多くの成果をあげることが出来ました。
  これらの動きに危機感をもった会社は、懲戒解雇という手段をとりました。かなが
わ地城支部にとっても、結成以来、初めての懲戒解雇撤回の闘いになりました。
神奈川県労働委員会での労働者救済の完全勝利命令、そして、中央労働委員会で
果敢に頑張りました。中労委で見事に県労委の命令を尊重した「和解勧告書」が提
示され、会社へ遺憾の意を表明させました。
 神谷さんにとっては、貴重な経験になったと思います。今後の活躍に期待します。


決してあきらめない労働組合のネバリ強さに敬服
                   神奈川争議団共闘会議 議長 城閣 良幸

 神谷さんが神奈川争議団共闘会議に加盟したのは、2006年2月の第28回総会
の場てした。早速解雇撤回の「決議文」を採択しました。
 この後、3月に神奈川県労働委員会へ不当労働行為で申立、翌年5月30日に完
全勝利命令、今年2月13日に中労委での解決と争議団に加盟して2年の解決です。
解雇後すぐに開始した社前宣伝を通して、配布体制や宣伝方法などを強化しながら
も、やはり継続は力なりと感じました。
地域宣伝や業界団体、病院関係への要請など、的確に早い対応に、さすがJMIUと
感心しました。
  しかし、一人争議の大変さから、体調を崩しながらの闘いでした。このハンディを
労働組合や支援者が、ネバリ強くカバーして闘ったからこそ勝ち取った勝利と思いま
す。神谷さんは、まず健康を取り戻して一日も早く仲間と合流できるよう頑張って下
さい。


]:【 役員のメッセージ 】

早期の解決、けれども長くもあったこの2年!
      支援対策会議 副議長(JMIU神奈川地本書記長) 鵜養  孝

 おめでとうございます。本格的解雇争議で2年は「早期」です。 とはいえ当事者
や家族にとっては、糧道を断たれ、見るも聞くもすべて初めての「ひとり争議」。
さぞかしストレスかたまる長い時間だったでしょう。
 私は、この争議であらためて資本の傲慢さを痛感しました。サービス残業など、専
横の限りを尽くし、意に沿わなければ「全財産をかけても潰せ」と言ってはばからな
い。こんな職場がまだまだいっぱいあるのですね。
 こんな攻撃を早期に跳ね返す事ができた要因一私は、3つをあげます。第1は本
人の怒り。第2はいち早い行動と体制づくり。第3はねばり強い門前行動の継続。こ
れらで一矢報いることができたのではないでしょうか。
 ところで、これからあの頑迷な職場を変えるには何が必要なのでしょうか?
何故、今回は解雇争議になってしまったのか? してしまったのか?
私たちの課題は尽きません。


パワーの強さを感じた、あっという間の二年間でした!
        支援対策会議 副議長(町田地区労幹事) 浅野 正男

 昭和メディカル勝利解決報告集会が終わって、今思うとあっという間の二年間です
が、いろんなことが思い出され、いろんな場面でいろんな人達のいろんな考えや、い
ろんな意見が出され、最良の策を討議し採用し、それぞれがそれぞれの動ける範囲
で精一杯活動して早期の解決に持って行けたことについて、JMlUかながわ地域支
部を中心とした昭和メディカル支援対策会議の、どこまでもあきらめずに強く進んで
いくパワーに組合の強さを私自身が強く感じました。
 私自身の為にも、これを機会にJMlUかながわ地域支部の皆さんと交流を深めて
いき、少しでも自分の強さをプラスなるようにしたいと思っております。
そして元気な神谷さんと活動を共にできることを願っております。


主張を変たり弁護士を差し替えても
            不当労働行為は明確に断罪されました!
     支援対策会議 事務局長(かながわ地域支部副委員長)斎藤 正人

  会社は、神奈川県労委で経歴詐称と主張しましたが、県労委から不当労働行為
と認定され労働者完全勝利の『救済命令』が交付されました。
 会社は、この命令を不服として中労委へ再審査申立し、弁護士を差し替え主張も
就業規則に切り替えてきました。
しかし、中労委からは「県労委の命令」を尊重した『和解勧告書』が提示され会社も
受諾せざるを得ませんでした。
 会社は、厚生労働省の認可事業として人間の血液や尿など、最新鋭の医療機器で
臨床検査を行い広く市民の健康と医療に深く関わり社会的責任(CSR)とコンプライ
アンス(法令遵守)を求められる企業であり見せしめ的解雇は許されない行為です。
 社会的包囲の闘いで特筆すべきは、昭和メディカルとの取引先のある神奈川の病
院要請だったと思います。多くの病院から会社へ「懲戒解雇は不幸なことであり一日
も早く解決するように」との要請が相次ぎました。
 支援対策会議に、JMlU以外の争議の経験豊かな方々に入っていただき幅広く議
論し多彩な運動を継続的に展開できたことです。
 多くの団体や個人の皆様に支えられながらの勝利解決だったと思います。
心から厚く御礼申し上げます。


結成6年、地域支部にとって初めての本格的な争議
       支援対策会議 事務局次長
             (JMlUかながわ地域支部書記長) 鈴木 孝之

  職場復帰にはいたりませんでしたが、丸2年の闘いで解決出来たことに心から
感謝しています。特に「一人でも誰でも入れる労働組合」として6年目、本格的に争
議をたたかったことの意義は大きいと思います。未組織労働者の「組合づくり」は、
時には争議も避けられません。そんな時、JMlUと地域の「共闘」づくりが不可欠で
す。こうした点て、昭和メデ不カル争議は貴重な教訓をつくることが出来たと考えて
います。


新しい発展方向を示した神谷争議
    支援対策会議 事務局次長(元NKK京浜OB) 篠崎 節男

 この争議には、地理的条件から事件が起きた翌日から就労闘争に駆けつけ、当初か
ら関わりをもってきました。
 神谷争議が恵まれていたのは、解雇以前から争議経験豊富な組合役員が相談にの
り、適切に対応して神奈川県労委での完全勝利命令を勝取った事が重要でした。更に、
従来の組合争議の枠に止まらず、外部から広く人材を迎えて対策会議を結成し、県労
委命令を活用し運動の広がりをつくって闘い、会社を社会的に包囲し追い詰めました。
それが、中労委の職権和解で、2年1ヶ月という短期間での勝利解決に繋がりました。
 この争議は、組合組織が中心となり、他団体や善意の個人が結集し大きな支援の輪
となり、困難な一人解雇争議を支え勝利した実績は、従来の組合争議に新たな発展方
向を示したと言えます。本人は、厳しい闘いの中で貴重な体験をし、教訓を学んだと思
います。今後の人生に活かしていくことを願ってやみません。


争議の教訓を活かしてください!
        支援対策会議 事務局次長(フジイ支部書記長) 佐瀬 和雄

 神谷さんとの出会いは、町田地区労での労働相談から面談し、医療関係の臨床職
場でサービス残業、労働条件など職場をよくしたいとの相談でした。地域支部の斎藤
さんと二人で面談して、即、JMlUに加入。そして月2〜3回の教科書(JMlUの労働
組合テキスト)の学習と職場のことなど一杯飲みながら話し合ってきました。
 アンケート活動を行ったことで、会社は違法であると解雇し争議が始まり、団交・神
奈川県労働委具会への申立・社前宣伝・各要請行動をおこなうなかで、勝利命令をう
けましたが、さらに中央労働委員会へのたたかいの展開で和解成立で解決しました。
 この2年間は、生活面や精神的に厳しいなかのたたかいでしたが、神谷さん自身も
よく頑張ったと思います。
 争議の解決は仲間の大きな支援の輪と力によるもので心から御礼を申し上げます
とともに、この教訓をさらに活かしてほしいです。


神谷さん、争議解決おめでとうございます!
        支援対策会議 事務局員(小田急OB) 橋本 正次

  今、実態のない管理職、アルバイトを請負契約として残業手当を支払わないと事業
主を訴える労働者が出ています。また、予算がつかなくなったため文化財発掘が中止
になり、自治体からの委託を受けた研究所が雇い入れたばかりの労働者を解雇予告
なしに解雇した等、労働者の法律が無きがごとき風潮の中で、オーナー企業で労働者
の権利である残業手当の足きりを訴えて闘いを起こした事は、職場の中に大きな勇気
を与えたことと思います。
  和解で会社が、神谷さんの全面勝利の神奈川県労働委員会命令の不当労働行為
認定を認めさせた事は、神谷さん補佐人をはじめ多くの支援者の粘り強い闘いの結果
と思います。これらの素晴らしい財産を糧にして、これからも体調に留意して、頑張っ
ている仲間に力を貸してください。


平成20年は、神谷君の改革の年!
      支援対策会議 事務局員
               (かながわ地域支部副委員長) 鶴岡 和正

  昭和の時代が終わり平成も早20年となった。昭和20年といえば敗戦という大き
な痛手と多くの教訓を残し、人々が自由と民主主義を掲げ、果敢に命と生活を守るた
めに廃墟から立ち上がった年でもある。焼け跡から再出発し「三種の神器」と称され
た電化製品が家庭に出回り「1億総中流」と呼ばれる経済大国となった。
 しかし、その後は経済の豊かさの中に空洞化と格差の拡大という歪みを生み出して
いった。今ワーキングプァーやネットカフェ一に象徴されるように命と生活が脅かされ
る時代となっている。そんな中、昭和メディカルの神谷君は果敢に自分の生活を守る
為、また働く人の生活向上の為に組合結成に立ち向かったのであろう。昭和メディカ
ルとの闘いは終わったが新たな平成の幕開けに立ち上がって欲しい。
平成20年を国民改革の年にするために。


いまの時代背景を的確に捉えた闘いの勝利!
       支援対策会議 事務局員(かながわ地域支部執行委員)出口 勝利

 解決おめでとうございます。神谷さんの懲戒解雇撤回闘争は、これまで政府財界
が進めてきた労働法制改悪と一体となった厳しい闘いであったと思います。
人としての常識が雇用関係においては、まったく通用しないため、いくら社会常識を
訴えても聞く耳持たぬ、という経営手法には呆れてしまいます。
 それは、明らかに戦前を思わせるものでもあります。その意味において私たちは、
今の時代背景を的確に捉えることなく勝利は導けないと確信しています。
神谷さんは解雇と言う中で生活苦との闘いもあり、二重の苦しい闘いです。そして、
それが募れば募るほど時代認識を正しく捉えなければ自身も負けてしまいます。
 本人も、お母さんも、支援者も「働く人々の生活を護る」という共通の闘いに団結
できた事が勝利和解を勝ち取ることができた、一番の要因ではないでしょうか。
本当によかったと思います。


支援する仲間に恵まれ学ぶことの多かった勝利解決でした!
      支援対策会議 事務局員(神厚労・副委員長) 糸島スミ子

  相模労連に神谷さんが支援要請の挨拶に見えられ、2006年3月31日、町田市
民ホールで聞かれた「昭和メディカル神谷不当解雇撤回支援対策会議結成総会」に
27団体48名の参加者のひとりとして出席しました。
 この時から私の楽しい支援活動が始まった。支援する仲間に恵まれ天気にも恵ま
れて、私の変則勤務が幸いし、門前ビラ配布や平日の要請行動にも度々参加するこ
とが出来ました。懲戒解雇から県労委での勝利、中労委の和解解決まで2年1ヶ月。
仕事の合間の気分転換にもなり、本当の争議を闘って来た、魅力ある人に学ぶ事も
出来た勝利解決でした。ありがとうございました。


  おめでとう!
          支援対策会議事務局員
        (JMIU千代田化工支部書記長) 木戸 篤

  神谷さん、勝利解決おめでとう。初めての経験で、しかも一人争議なので天変だ
ったことと思います。よく頑張りましたね。
 力ずくで君を職場から放り出した会社に、「不当労働行為があった」と労働委員会
命令を認定させ、会社に「遺憾の意を表明する」と言わせたことで、気を晴らすこと
はできたと思います。職場復帰は叶わなかったけれども、たった一人の闘いとして
は明確な勝利だと思います。
 多くの支撰者に手弁当で支えてもらったことへの感謝を大事にして下さい。この2
年間闘い抜いて得た貴重な経験を今後も活かして下さい。新たな飛躍を願っていま
す。おめでとうございました。


闘って得た仲間
       支援対策会議 事務局員(元臨港バス争議) 鈴木 哲夫

 関係者の皆さん争議解決おめでとうございます。
浩人君おめでとう。最高の結果だと思う、自分のこと以上に嬉しかった。中労委で解
決しましたと聞いたときには、鳥肌が立ち武者震いしたことを思い出します。
 私か6年半闘って成し得なかったことを、2年1ヶ月程で一人争議を、この高いレべ
ルでの立派な解決をした。素晴らしいことです。
首を切られ放り出されて泣き寝入りする人達が多いなかで、神谷争議の闘いに参加
した仲間の力を忘れてはならないと思う。
 私は、高いレベルの解決ではなかったが、役員の皆さんと支援の仲間への感謝の
心を忘れたことはない。だから支援に行く、仲間に逢いに行く。
浩人君が、その心と気持ちをいつまでも持ち続けてほしいと思う。一人ではない仲間
がいるんだと気持ちを変えて気分を変えて、今後もニッコリ笑った顔を見せてほしい。
はんとうに嬉しい心からおめでとう。 頑張れ浩人!


そば屋の息子の連帯感で力強く支援!
         支援対策会議 事務局員(元東芝争議団) 五十嵐 努

  神谷さん、そしてお母さん、勝利解決おめでとうございます。神谷さんが争議を始
めてすぐに、争議の経過や神谷さんの家族の状況を聞いたところ「家は中華そば屋
をやってます」ということでした。私の実家も「中華そば屋」をやっていたので、「よし!
そば屋の息子の連帯感で全面的に支援するから」と約束し、その後、支援対策会議
の事務局メンバーになりました。
 この中で、自分白身の争議では体験できない貴重な体験も数多くさせてもらい、今
後の自分の職場活動にも活きる収穫を得ました。ありがとうございました。
 2年余りの短い期間で勝利解決できたのは、継続的に運動で会社を追い込んでき
た支援対策会議と支援の皆さんの力があったからだと思います。
ありがとうございました。


闘い抜いたヒロンドに乾杯!
          支援対策会議 事務局員
            (明るい日立の職場をつくる会事務局長) 関 知男

  ヒロンド、理不尽な経営者との闘いでの勝利、本当におめでとう。
神谷浩人、誰も「ヒロンド」と読むとは思えない名前のため、人の名前を覚えること
が苦手な私でも、一度聞いただけで印象に残りました。
 JMlUの一員として神奈川争議団で闘うヒロンド。明日の会で担当になってから、
何とか勝たせたいと、せっせと会社の門前宣伝などに駆けつけた私にとって、闘い
抜いたヒロンドのこの大きな成果は、本当に極上の贈り物です。
 労働者を犠牲にする経営者に立ち向かう勇気を待ったヒロンドにとって、経営者
との闘いは簡単ではないこと、でも、闘い方を工夫すれば充分に闘えることが、こ
の闘いでわかったのではないでしょうか。
  この闘いで学んだことは、ヒロンドのこれからの人生で必ず活かされると、私は
信じています。一緒に闘い抜いた仲間と、これからも共に歩んでいきましょう。


昭和メディカル不当解雇争議へのご支援ありがとうございました

                           神谷 浩人

 今年2月13日、中央労働委員会での第3回和解で「和解勧告書」が提示され労使
双方が受諾し解決致しました。
 2年1力月の闘いの中、臆病な私を支え続けていただいた皆様方への感謝の気持
ちは、うれしさ極まり感激のあまり言葉では言い表せないほどです。
途中で、体調を崩し、皆様にご迷惑をお掛け致しました。お詫び致します。
 昭和メディカルの門前宣伝では、猛暑だったり極寒のなか会社に対して、不当解、
を撤回させるため多くの支援者の声援が集まりました。また、厚生労働省や関係自
治体、背景資本への要請、さらに、関連医療機関への要請を粘り強く取り組むこと
ができ、早期解決になったと思います。
  争議解決を、年老いた母が一番喜んでくれました。これも、すべて皆さんの暖かい
ご支援のおかけと思っております。本当に有り難う御座いました。
  残念ながら、職場へは戻れませんでしたが、また、別の闘いを基に、これからも一
層心と体を磨きあげたいと思っています。
 最後までのご支援に心から感謝申し上げます。


神谷君

     支援対策会議結成総会で支援を訴える 神谷 浩人君




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