ボランティア

22、ブラック企業・臨港バス鈴木不当解雇撤回争議

       ー生命を懸けて闘い、真実を追求した執念の軌跡ー

        (2000年04月06日〜2006年07月20日  6.3年)



1、日本で初めてインターネットを悪用したブラック企業、臨港バスの不当解雇事件が突然起きる

鈴木争議総括集
 長年会社を信じて真面目に働いてきた労働者が、企業の都合で狙いをつけられ、会社方針のもとに幹部と労務や弁護士を含め、その道の専門家が周到に準備をし、監督官庁である行政をも抱き込み一体となって謀略のワナに嵌められたら、善良な労働者が一人ではどうにもならない事態に陥ることの典型例である。インターネットという一見便利であるが、掴みどころのない文明の利器を謀略に悪用し、労働者を不当に解雇するという悪質な事件が、事もあろうに、日本で最初に労働者の街川崎で発生した。

  闘いという事など頭にもなく、善良な労働者であるがために、仕掛けられた策謀、アリ地獄にもがけばもがくほど深みに嵌っていく苦闘。労働者の味方と信じた自由法曹団弁護士や労働者・市民の立場を標榜するエセ労働団体である川崎労連に支援を求めたが、手を差し伸べるどころか逆に頭を押さえつけ、アリ地獄の底に沈めようとする悪辣な裏切りに耐え、懸命に果敢に闘った一人の男の実在した闘いの記録である。川崎と鶴見をエリアに営業する「川崎鶴見臨港バス」、そこで長年真面目に働いてきたバス運転士、鈴木哲夫さんの血の滲むような闘いである。皆で力を合わせ、アリ地獄から鈴木さんを懸命に救い出すための支援する会結成は、不当解雇されてから2年8ケ月も経過した、2002年12月11日で、それ以後鈴木さんを職場復帰させる為に深く関与し、真実を追及し、共に闘い抜いた執念の軌跡である。

  (1)、土岐美恵子という正体不明な乗客からの「苦情」をでっちあげて

 川崎鶴見臨港バス株式会社(以下「臨港バス」という。)に勤務するベテランバス運転士である鈴木哲夫さんは、2000(平成12)年4月6日、臨港バス神明町営業所所長であった入野晴朗(以下「入野」という。)から、突然同営業所に呼び出され、

  @「平成12年3月14日、原告が色の濃いサングラスを着用してバス運転業務に従事した上、乗客である訴外土岐美恵子(以下「土岐」という。)からバスの行き先を尋ねられ、行き先は前に書いてある旨怒鳴り、乗客に対し不適切な言動を取った」と土岐からの訴えがあり

 A 「その苦情がインターネットで全国に流れた。その内容を監督官庁である陸運局が察知し、『お前のところの運転士教育はどうなっているのか』と陸運支局から呼び出しを受け、今、社長と上層部が謝罪に行っている。」

 B「今日退職願いを書かないと、明日賞罰委員会を開いて懲戒解雇にする。懲戒解雇になると、退職金が貰えなくなる。今日書いた方が得でしょう!」と言った。

(2) 事実無根の作り話で脅迫

 控訴人は身に覚えのない事実であったので、はじめは「そういう事を私はしていません」と反論をしていた。しかしながら、会社側(入野所長と労組幹部の吉田支部長)が上記のような内容を2時間以上にも亘って密室の中で迫り、その強い態度から、控訴人としてもだんだんと懲戒解雇になると退職金も貰えないし、将来再就職の道も閉ざされ、まともな生活が出来なくなるという気持ちになり、追いつめられ、もう仕方がない、とあきらめの気持ちから頭の中が真っ白になって思考力を失い、入野所長の示す予め準備してあった見本に倣って、「退職願」を書いてしまった。

(3)監督官庁である関東陸運局の名を騙り

 しかしながら、後になってインターネットへの苦情など流されておらず、会社代表者が監督官庁に謝罪に行ったという事実もなかったことが明らかになった。控訴人は被控訴人会社が自分を辞めさせたいことからこのような作為を行ったことを感じ、退職届の撤回を求めた。しかし臨港バスはそれには応じなかったために、退職の意思表示の取消しを伝えた。これにより控訴人の職籍は残っている。

(4)会社懲罰委員会で「懲戒解雇」で脅す

 また、そもそも被控訴人主張の本件事件は懲戒処分そのものに当たるような事実とはいえない。にもかかわらず懲戒解雇にすると被控訴人らが控訴人に迫ったことは、全く理由のない行為であるし、控訴人が退職もやむないと考えるに至った理由には、自分に関連して監督官庁に会社幹部が出向くなどの大事に至っている、という誤解があった。しかしこれは被控訴人会社側の欺罔に基づくものであった。したがって、控訴人は退職の意思は無効であり、控訴人の職籍はなお被控訴人会社に残っている。

 (5)関東運輸局にも報告して居らず
 
 又、このような「苦情」などがあったときには、被控訴人会社は運輸省関東陸運局神奈川支局(現国土交通省関東運輸局神奈川支局に名称変更。以降『関東運輸局』とする。)にその経過や対応について報告をしている筈である。山口証言調書(平成15年3月12日45頁19行〜21行)でも「本件では報告書を出してないんですか」との問いについて「出していません」としか答えられないでいる。また、被控訴人会社から「乗客の苦情がインターネットに流れて、関東陸運局が察知し、呼出しを受けて、社長と上層部が陸運局に謝罪に行っている」などと被告会社から欺罔、強要、脅迫され退職届を略取され、職場を「解雇」同様に追い出されてしまったが、前記のようにそれが嘘であること、しかも控訴人らが2000年の4月以降関東運輸局へ訪問や要請を行っているが、その際、これらに対する関東運輸局の回答には控訴人が土岐証人に「怒鳴った」という苦情の報告があったということは一度もなかったのである。

 労働組合でも平成12年5月26日の被告会社の臨港バス交通労働組合の質問書(甲第5号証10行以降)で、その後、組合独自に調査を行ったところ、「この『陸運支局への苦情・社長のお詫び』は事実無根のようです。」「同氏の過去の処分歴や本件裁判が結果的にどうなるかとは関わりなく、労働組合に対して虚偽の事実を述べたこと自体が、労使関係上の信義にもとる、ゆゆしき問題であります。」「いったん同氏の過去の処分歴等を考慮した上でそれが処罰にあたる事であると会社が主張されるのであれば、当組合の主張通りに退職願の撤回を認めた上で、改めて賞罰審査委員会等で、ふさわしい討議をなすべきものと考えます。」と組合も主張している。


2,国土交通省も「苦情」の報告がウソである事を認める

@ 「乗客の苦情がインターネットで全国に流れ、会社の名誉を著しくきずつけた」のか否か。
A 「そのインターネットの文章を関東陸運局神奈川支局が察知した」か否か。
B 「陸運局から『おまえの所の運転手教育はどうなっているんだ!」と呼び出しの電話があった」のか否か。
C 「鈴木哲夫の件で、今、社長と上層部が陸運局に謝罪に行っているという事実があったか否か確認に行った際、
@については関東運輸局と直接の関係はないので回答はなく、ABCの項目について、「関東運輸局神奈川支局からは報告されていません。神奈川支局に再度確認してご返事します」との事であった。

 最後に「退職届に拇印を押さされた翌日、私が暴言を吐いたと言われたがその事により本当に苦情があったのかどうかを確かめるため、妻と二人で陸運支局に行きました。そこで『臨港バスについての苦情の報告は来ていない』と担当官(敢えて姓名は伏す)から聞き、自分が騙されて退職届を書かされたことに気づきました。すぐに会社に退職届の返却を求めましたが、断られました。今は、アルバイトで月7万円の収入で食いつないで生活保護を受ける寸前の生活状況でいます。

  裁判長に申し上げます。私は乗客に対し暴言を吐いていません。私はバスの運転歴15年の間、乗客から一度も苦情を受けたことはありません。身に覚えのないことで職場を追われるなどとても耐えられません。私が退職届を騙し取られた当日の夜、職場の仲間が16名自宅まで来て心配してくれました。生活を路頭に迷わせられた家族にどんな非が責任があるというのでしょうか。冤罪で生活の糧を絶たれたら生活することはできません。家庭も崩壊します。私を職場の仲間のもとに帰してください。そして家族に安心を与えてください。非人間的状況に置かれている私のみならず、民営バスで働いている全国の多くの人々を含めて、私たちの人間性を回復するような御判決を願う次第です。」との控訴人の声を聞いていただいて、慎重な御審議を願う次第であります。(東京高裁・原告準備書面より)

弁護団との関係は

 争議を勝利解決する為には、原告・支援組織と弁護団との三者の団結が不可欠の条件です。鈴木争議に於ける弁護団との関係を検証し、記録に留めておく必用があります。

1、仮処分では企業側に立つ弁護士に依頼してしまう。

  誰でもが平穏な生活を望み営んで生きているが、自分に突然不幸が降りかかるなど、予想もしていないのは当然の事です。正に鈴木哲夫さんへの突然の退職強要事件は、会社は前々から鈴木さんを狙い陥れるために事前に周到に準備をし、謀略を仕掛けてきたのであるが、当の本人は全く知る余地もなく無防備の状態で生活していした。労働組合運動も争議の経験もない一般の人間が、いざ裁判を起こすとなっても弁護士を選定する基準や基礎的知識等ある筈はありません。知人が知っているというだけで紹介された弁護士でした。

  だまし討ち解雇されて1ケ月後の2000年5月9日、横浜地裁川崎支部へ地位保全の仮処分申立を行ない、裁判闘争に立ち上がりました。支援者もなく弁護士と本人と家族だけで、裁判所の密室の中で審尋が行なわれ、証人も証拠調べも行なわれる事無く6回の書類審査と審尋が行なわれ、7ケ月後の12月14日決定が出されるに至りました。争議経験のない人は誰でもが、”弁護士は正義の味方、裁判所は正義と真実を判断してくれる所”と信じて疑わず、公正な判断を出す所と期待を持つのは当然です。結果は、期待に反して原告敗訴の「却下」決定でした。支援組織も無く、周囲の協力や助言も全くない中での密室裁判では、予想された結果と言えます。知人の紹介で依頼し代理人を立てたわけですが、経営法曹会議に所属する、経営者側の利益を養護する立場の弁護士であった。


2、弁護士主導の横暴で杜撰な法廷対策(実は弁護士間での裏取引が・・・)

 1)2002年3月27日、横浜地裁川崎支部へ本訴を行ないました。仮処分での経験と教訓から、今度は労働者側の立場に立つと言われていた自由法曹団に所属する藤田弁護士に、代理人を依頼しました。受任の際2人分の着手金を要求され60万円を支払いました。

 2)「鈴木哲夫さんの職場復帰を支援する会」が結成されたのが、9ケ月後の12月、横浜地裁川崎支部で第1回公判が開かれた日でした。通常は、支援する会の会議に出席し、三者で情勢分析や法廷対策等を検討し、方針を立て意思統一を図るものですが、藤田弁護士にはその都度参加要請しましたが一度も出席したことはありませんでした。
  そればかりか、法廷の打ち合わせは原告と家族のみで行なわれており、支援する会の参加は許されませんでした。支援する会はこうした状況を克服するため、法廷対策が不十分である事を具体的に指摘し、原告・弁護士・支援する会三者による合同会議を適宜開催することを強く提案し、法廷対策を強化する事に努めましたが無視されました。

2)藤田弁護士は「市民的労働争議」に固執

珍ドン宣伝
藤田弁護士の主張は、鈴木争議は、労働運動の闘士を狙った指名解雇ではなく、会社は大々的なリストラを行なっておらず、鈴木さんはリストラの犠牲者でもなく労働争議には当らない。一般的な市民事件であり、敢えて言うならば「市民的労働争議」と言えると規定しました。この位置付けは、労働争議のように大衆的裁判闘争を否定し、支援する会の結成や運動を抑えて傍聴動員程度とし、法廷内だけに止める市民的裁判に持ち込めればよしとする法廷至上主義の方針であり、しかも、素人目にもそれと読み取れる、法廷での主張・立証に意気込みはなく、故意に手抜きの場面がが多く、素人弁護士顔負けの杜撰なものでした。

 原告や支援する会とは時々意見の相違をを見ましたが、自分の主張をゴリ押しするため「何時辞任してもいいんだよ」が彼の最後の決まり文句で、多くの人が何度この言葉を聞かされたか知れません。弁護士倫理以前の問題で、原告の立場で弁護する姿勢は微塵も見られませんでした。(その理由が明らかになったのは、今際の際に原告の口から・・・会社弁護士とは司法修習生同期、安い解決金で和解の裏取引の密約が・・・原則的な支援する会の存在が邪魔に)

 3) 藤田弁護士突然代理人辞任を表明

  横浜地裁川崎支部での公判は8回行われ03年10月15日に結審となり、04年1月28日、原告敗訴の不当判決が出されました。3日後の31日、三者合同会議がもたれ今後の対策を検討する事になっていました。前日には原告一人が呼ばれ、意向を聞かれていました。

三者合同会議の席で藤田弁護士は、

 @ 皆さんとは考え方が根本的に違うし変えるつもりも無いので、これ以上一緒にはやれない。
  A 弁護士は進級担当、私は地裁の任務は果たしたので、原告の名前で控訴手続きをし、ここで代理人を降りたい。
  B 労働事件は時間がかかって難しく割に合わない。鈴木さんに係わっている時間を他に当てれば”5人分の実入り”になり、全く割りに合わない無駄働きである。

 予測できない事態ではなかったが、一審敗訴と弁護士辞任という不測の事態を迎え、二週間以内という期限内に、原告と支援する会の2名で東京高裁への控訴手続きを行なわざるをえませんでした。
2人分として支払った着手金でしたが、藤田弁護士一人だけで約束は守られず、辞任後に着手金半分の返済を求めましたが、姑息に逃げまわって話し合いにも応ぜず、ついに返却されることはありませんでした。


3、地獄で仏の人権派弁護士に受任してもらう


1)弁護士捜しに困難を極める

当時藤田弁護士は自由法曹団神奈川支部の事務局長であり、彼が辞任した後を引き受ける所属団体弁護士は神奈川や東京では居ず、自分が所属する「事務所の十数人はだめよ」と釘を刺され、労働弁護団全体に神奈川争議団に対する敵視方針が徹底され、浸透していた情勢下にありました。昔自分の争議で関係した人や他の争議団の紹介等、あらゆるツテを頼って依頼したが、種々の理由を付けて体よく断られれ、その数は神奈川及び東京で三十数人に上るでしょうか。

  そんな中、他の関係で知り合った人権派弁護士さんに依頼し、弁護士倫理に即して快く受任して頂く事が出来ました。しかし、高裁第1回指定期日(4月15日)には間に合わず、電話で担当書記官へ延期を要請したり、「期日変更申請書」を発送すると共に、高裁第8民亊部に原告と支援する会代表とで出向き期日延期を上申し、第1回弁論期日が5月27日と1ケ月半ほど延期されたことによって、法廷対策の準備が間に合いました。
苦労して捜した新しい弁護士は、鈴木争議のみならず、神奈川のその後の争議運動に於ける弁護士対策に貢献することに繋がりました。

 2)三者の団結を維持した闘いに発展

  一審に於ける裁判対策が弁護士と当事者のみで行なわれ、代理人主導で不十分であった反省から、法廷対策を人材的にも経験豊富な人を依頼して補充する共に、法対部を設け、集団で討議し準備する体制を整えました。弁護団会議を頻繁に開催し方針を立て具体化すると共に、弁護士任せにならないよう原告や法対部が積極的に働き、一審では提出されなかった新証拠を発掘し、資料の作成や陳述書や準備書面の素案を作成し、最終的に弁護士が仕上げ裁判所へ提出する方式が定着しました。

 口頭弁論前日にはメールでのやり取りを含めて、深夜まで法廷準備に万全を期して取組みました。東京高裁では半年で5回の公判が開かれましたが、その間14回の弁護団会議を行ない、民主的で率直な討論が行なわれ、正に三位一体の裁判対策が行なわれるようになりました。一審地裁の段階でこうした体制が採れていたらと、悔やまれる声が出されました。

3、社会的包囲の本格的な闘い

(1) 「鈴木哲夫さんの職場復帰を支援する会」の結成

  結成されたのは、鈴木さんへの退職強要事件(2000年4月6日)が起きてから約2年8ケ月後になります。2002年12月11日、横浜地裁川崎支部での本訴が始まり、第一回口頭弁論が開かれた当日の夕、裁判所の真前に建つ教育文化会館で結成総会が開かれました。産別の労働組合という支援母体を持たない一人争議であった為、役員は各種民主団体の代表や争議経験豊富な有志を集めて構成され、支援する会の態勢が形成されました。

  支援する会は、法廷闘争・職場からの闘いを重視すると共に、大衆的裁判闘争として世論の支持を広げ、会社と裁判所を社会的に包囲して闘う方針を決定して取組みました。結成日当日の行動は、親会社である京浜急行川崎駅前でビラを撒きマイクで音を出して宣伝し、裁判所前での宣伝を行なってから法廷に臨みました。

  被告臨港バスは、初めての争議とあって最初から傍聴にも毎回社員70人以上を動員し全力を挙げ、22席の傍聴席を抽選で確保する争奪戦に挑み、最後までその姿勢を崩す事はありませんでした。臨港バスは、法廷外でも好戦的・挑発的なな態度を一貫して貫く態度に終始したため、支援する会も支援の輪を広げると共に、傍聴動員でも行動の規模でも常に会社を圧倒する取り組みを行なってきました。その基本は、神奈川の反合権利闘争と神奈川争議団が、長年の闘いによって蓄積し築き上げて来た教訓に学び、より発展させる気概を持ち取組んで来たことになります。

(2) 臨港バスを社会的に包囲する多彩な取り組み

1) 公判日を一日行動として取り組む

横浜地裁川崎支部での闘いでは、早朝駅頭宣伝から始め、臨港バス本社前抗議要請行動として取り組み、裁判の結果を待つのでなく、一貫して双方の話し合いによる早期解決を目指して要請行動を行ないました。京浜急行本社前要請行動、裁判所前宣伝行動と、一日行動として多彩な取り組みを行いました。第5回公判までは独自行動として取組みましたが、第6回からは神奈川争議団の統一行動として位置付けられ、他争議団や全県の支援者に参加を呼びかけ、常時100名近い参加者を得て、毎回の行動を成功させてきました。

2) 京浜急行本社抗議要請行動

  京浜急行(株)が臨港バス株式の83.6%を保有している親会社であり、歴代の社長以下役員を送り込んで完全に経営権を握っている事が判明、争議解決の鍵を握る企業として位置づけ、重視して抗議要請行動を行ってきました。京浜急行は、当初一度だけ代表を社内の狭い会議室へ入れた事がありますが、それ以後は 玄関をロックし、警備員を十数人配置し、固く門を閉ざして最後まで玄関先での対応に終始しました。

 3) 国土交通省等監督官庁への抗議要請行動

この事件の大きな特徴の一つは、監督官庁である運輸省関東運輸局神奈川陸運支局(現国土交通省)の名を騙り、「社長以下役員が謝罪に行っている」と鈴木さんを騙し、退職願を奪い取った事が事件の発端です。

  @ そもそも監督官庁である関東運輸局が当初から、「国交省の名を悪用するなどけしからん、現状に戻しなさい」と、臨港バスに対して適切で強力な行政指導を行なっていれば、事件は訴訟にならず防げた可能性があります。

  A 関東運輸局が知らない所で名を騙られ、不当解雇の片棒を担がされたのは被害者であるが、その事を知った以上、争議解決を早期に行ない指導する責任が生じます。放置するならば、臨港バスの悪行を追認し片棒を担いだ事になり、国家公務員として責任は重大であると同時に、官・業の癒着を疑われても仕方のない事であり、誤解を避けるには解決に力を果たす立場に立つ事が求められます。

  B 臨港バスは裁判傍聴に70人もの社員を動員して職場を空にしており、その間に緊急時の対応と安全対策はどうなっているのか。又、業務以外に社員を動員するなどは許されない。調査し強力な行政指導を行なうよう、協力に申し入れました。

 C アンケート調査結果を集約し、利用者や市民の苦情や要求等生の声を持ち込み、改善指導 を行なわせました。

  D 国土交通省本省へも要請を行い、課長補佐2人を含めて4人が対応しました。国土交通省関係へは本省を含めて粘り強く17回の要請行動を行い、その中で重要な証言を引き出しました。

イ、国土交通省の出先機関が、インターネットをキャッチし関与した事実は一切ない。
   ロ、傍聴動員はバス会社の職務以外の事で、具体的に抵触する条文はないが好ましい事ではない。
   ハ、平成14(2002)年10月に、関東運輸局は担当専門官より”厳重注意”処分を行なった。
   二、平成15(2003)年1月30日に、神奈川運輸支局運輸課長より”注意”処分を行なった。
ことが明らかになりました。

 4) 自治体・背景資本への要請

  @ 神奈川県を初めとして、川崎市・横浜市等の自治体要請

神奈川県へは、県の交通行政全般を把握して調整し、県民の安全と生命を確保する立場から、公共交通機関としての監督指導を求め、他争議と共同で申し入れを行ないました。 川崎市と横浜市については、敬老パス・福祉パス等直接多額の市民の税金を補助金として出してしている立場から強い影響力を持つもので、頻繁に要請行動を行ないました。「直接行政指導を行なう立場にないし余り力になれなくて申し訳ない」と言いながらも、要請を一度も断わらず真摯に受け止め、自治体の持つ権限の範囲で、臨港バスに対して要請の内容を電話で伝え、要請書をFAXや郵便で送る等の労をいとわず取組んでくれました。アンケート結果を集約したものについても、行政指導と政策立案の参考資料として届け、喜ばれました。

  A 背景資本への要請

争議解決に果たす銀行や生命保険会社等の背景資本が、争議解決に大きな力を発揮する事は幾多の経験則からして実証済みです。臨港バスの場合は株式が公開されていず、親会社である京浜急行(株)の出資銀行であるみずほコーポレート銀行や国策銀行である日本政策投資銀行、筆頭株主である日本生命や大株主である第一生命・みずほコーポレート銀行・横浜銀行の、本・支店への要請行動を頻繁におこないました。地裁の段階では川崎・横浜の支店への要請を行いましたが、一日に十数店舗の要請を行った事もありました。最終盤には東京の本店を回り、要請行動を行ないました。

 アンケートを集約した冊子を渡すと、「ひどい会社ですね、同じサービス業ですがこんな事をしていたらうちの会社が潰れてしまいますよ」と、余にも評判の悪さにビックリしていました。親会社の株主であり間接的なので、革靴の上から足を掻くようなもどかしさを禁じ得ませんでしたが、どの背景資本も、要請を受けたところは真面目に話を聞き、京浜急行へ出向いたり担当者を呼んで詳しく伝えると同時に、半ば説得にも似た形で積極的に取組んでくれた所もあり、大きな効果があったものと受け止めています。

 5) 株主総会での宣伝と発言

「株主総会は、株式会社における最高の意志決定機関である」と商法で定められ、通常は年1回開催されます。原告と支援する会は、この機会を活用して株主に争議の実態を知らせ、早期解決の機運を作るため、株主に訴える宣伝を行ないました。会場は品川駅前にある京急グループの”ホテルパシフイック東京”でおこなわれ、2003年から3回、ホテル入り口に宣伝カーを止めて宣伝し、チラシも1000枚近く配布しました。2005年には5名の支援する会役員が株を取得し、総会に出席し延べ3名が発言しました。会社は構えて、発言を抑えようとしましたが、「コンプライアンアンスはグループ企業全体に適用する」等の言質を引き出すと共に、一般株主からも争議解決を迫る支援の発言がありました。株主総会での発言は即、大株主の会社へも伝わりますので、要請行動の対応にも連動して丁重な扱いに繋がっていたものと思います。

 6) 役員宅要請行動

争議解決に鍵を握る人物は誰かを見極める必要があります。やはり実権を持つのは、親会社である京急の社長であると見定め、何回も要請に行きましたが最後まで一度も会えませんでした。終盤には、京急の社長だけでなく役員宅も対象に、要請にいきました。臨港バスの役員は、社長以下数人で対象は3〜4人であり、独自行動で何回も行ないましたが神奈争の統一行動にもエントリーして取組みました。解決交渉が中断した時、新任の社長宅へ要請に行き、「窓口は閉じていない。担当は田端だ」という言質を引き出し、この機を有効に活かし交渉の再開に結び付けました。

 7) 日本バス協会・民鉄協会・日本経団連等、経済団体への要請

  @ 東京高裁へ控訴した後は、闘いの舞台は東京へ移りました。

裁判所前での朝宣伝から、国土交通省や日本バス協会が要請の対象になりました。日本バス協会は、バス業界を取りまとめる利益団体ですが、事務局は天下りか企業からの出向者であり、団体に雇われているという意識が強く、業界や企業の利益は優先するが、企業を指導する立場には立てない同好会的な機構と体質を持っている事が分りました。当初は、要請を頑なに拒否する態度でしたが、粘り強く説得して当初から毎回要請を受けさせる事が出来ました。しかし、余り効果的でない事を見極め、その力を他への要請に向けました。日本経団連へは、争議団の共同行動の折に1〜2回要請を行いました。

    A 日本民営鉄道協会への要請

 2005年6月に行なわれた、京浜急行電鉄第84回定期株主総会で、小谷昌氏が京急の会長に就任しました。民鉄協会の会長に納まることが内定していたため、会長制度を執ったのでした。争議団にとっては絶好の要請先が出来た事になります。肩書きが付くほど汚名を恐れ攻めやすくなるからです。しかし、民鉄協会は、「バス会社は管轄が違うので会えない」という、理由にならない理由をこじつけ、要請を固辞し何としても要請を受けようとしません。仕方なく、協会事務局が入居するテナントビルの前に宣伝カーを止め、宣伝行動を長時間行ないました。初めての経験で珍しいのか、一階のロビーにはテナント内の聴衆が大勢集まり、演説に聞きいっていました。要請書の受理さえも断った為、民鉄協会全体に要請内容を知ってもらうため、協会副会長や幹事企業の会社へ直接要請書を送付しました。

 8)すべての活動の共通の土台である宣伝活動に力を入れる

   公共交通機関であるバス会社が、利用者や市民の安全を軽視して、営利第一主義に走ってしまったら利用者の安全と生命はないがしろにされ守られません。利益本意の経営方針のもとで、鈴木退職強要事件が起きており、根っこは一緒です。利用者や住民の見えない塀の中で無法な事が行なわれていることを何よりも多くの人達に知ってもらわなければなりません。先ず事実を知らせる事が前提です。鈴木争議も、支援する会が発足して宣伝を重視して取り組みました。

 @ 駅頭宣伝

  裁判公判日にはJR川崎駅と京急川崎駅で、音を出しチラシを撒いて宣伝しました。支援の輪を広げ、臨港バスの発着する停留所や鶴見駅へと広げて行い、利用者への宣伝を強化しました。臨港バスの乗降客へ手渡すビラは、大変関心を持って受け取られ読まれました。最初は通勤ラッシュの時間帯に行いましたが、対象者が限定されますので、利用対象者の層を別に広げて、土曜や休日の午前中も川崎や鶴見駅のバスターミナルで宣伝しました。関心が強く、2時間で1000枚ほどのビラを受け取って行く人がいました。

 A 地域宣伝を行なう

  臨港バスには、本社以外に4つの営業所が設置されています。この営業所周辺への全戸ビラ配布を計画しました。最初の皮切りは何といっても本社に焦点を当て、04(H16)年8月の真夏日の午前中、50名の参加者を得て1万5千枚を本社周辺へ配布しました。正に汗ぐっしょりになりながら一人200〜250枚を分担し、汗が眼に沁みて汗と涙の奮戦でありました。たて続けに10月半ばには浜川崎営業所周辺へ、42名で一万五千枚のチラシを全戸配布しました。しかし、一方的な宣伝では不十分であり、利用者や住民の声を聞くアンケートを付けて配布し、要求実現にも役立てるべきではないかとの提案が出され、3回目は05年3月半ばに鶴見区の山側を行ないましたが、53名の参加者を得てアンケート付きビラを1万枚配布しました。その後は、アンケートを付けて塩浜・幸区・本社周辺と計6回、236名の参加協力を得て74,700枚の全戸配布を成功させました。

川崎大師宣伝
 B 川崎大師宣伝

川崎の名物と言えばなんといってもお大師様が上げられます。正月の初詣には関東一円は勿論日本全国からお参り客が集まってきます。臨港バスも特別体制を組んで川崎駅からのピストン輸送を行ないます。何よりも親会社である京急大師駅前での新年早々からの宣伝は効果があります。2004年から06年まで3年間連続して取り組み、毎回30名前後の参加を得て、宣伝カーで宣伝し約2000枚のビラを、初詣客に配布し、臨港バス争議を広範囲に知らせる行動を実施しました。

C あらゆる宣伝効果を活用して

  宣伝の基礎であるビラについては、編集技術・読みやすさの工夫や内容については、担当者任せで課題を残しました。音の宣伝では宣伝カーやハンドマイクだけでなく、太鼓やチンドン屋さんの協力も得たり、視覚に訴える横断幕や桃太郎旗を作成して活用し、効果的な宣伝を目指しました。

 9) アンケート調査活動

 @ ビラ宣伝とアンケート活動

   ビラの配布にアンケートを添付し、利用者や市民の要求や意見を掴み、要求を集約して会社に実現を迫ると共に、監督官庁や行政、背景資本への要請にも利用者の生の声を持ち込むことがいかに重要であり、効果的であるかについて討議しました。鶴見駅や川崎駅駅での駅頭宣伝から始め、本格的には第3回鶴見地域宣伝から全戸に配布しました。その枚数は何万枚配布し、何百通のアンケートが返信されてきました。アンケートの効果は想像以上で、臨港バスの評判の悪さが際立ち、自分が実際に体験した内容の苦情やコメントが、用紙一杯に記入されたのもが多数寄せられました。集約したアンケートは、臨港バスへの改善要求として突きつけると共に、監督官庁である国土交 通省や関東運輸局へ持ち込み、行政指導の貴重な材料として活用するよう、要請行動に活用す ると共に、背景資本への要請行動にも持参し、銀行や生命保険会社等の出資機関が、臨港バスの経営分析資料として参考に活用するとして 喜ばれました。

A 京急駅頭宣伝

   アンケートについては、親会社である京急の主要駅頭で、最初は最先端の三崎口から三浦海岸・久里浜を行い品川駅まで攻め上る計画を立て、チラシに添付して実施してきました。これも裁判所からの要請で、久里浜迄の3回を行なったところで中断する事になりました。同じチラシの内容に貼り付けて配布したにも拘わらず、返信の中味は臨港バスとは違い、利用者の京急への評判が良いことが分りました。この事によっても、如何に臨港バスの経営方針に対する評価が悪いかが再確認された事になります。

B 社員へのアンケート
  アンケート活動については、臨港バス全社員へも郵送し、社員アンケートも実施し、職場からの声が沢山寄せられましたが、異常な職場監視の実態と会社への不満が強く存在している事が明らかになりました。

 10) キャラバン宣伝

 @ 地域独占と公共性

バス会社は、公共交通機関であると共に、地域独占企業でもあります。臨港バスの運行エリアでは、一部で川崎市営バスと競合する路線があるだけで、その他は競争相手がなく、利用者は好むと好まざるとに拘わりなく臨港バスを利用するしかありません。経営能力に欠ける企業はそこに胡坐をかき、経営努力をせず利用者や住民のひんしゅくを買うものですが、アンケートの結果を見ると臨港バスは、それに該当する典型的な会社であるといえます。

A 地域独占の弱点を突く

   競争相手のいない地域独占企業の弱点は、運行エリア内のお客さんの動向を常に気にして営業しなければならない宿命に置かれています。しかも、臨港バスは川崎市の南部と鶴見区に限定される狭い範囲です。従って、宣伝カーを巡回して事実を宣伝すれば、1日で全エリアを一巡出来る事になりますから、連日行なえば宣伝効果は非常に高く、会社にとっては逆に大きなリスクを背負うことに繋がります。

B 職場に大きな影響を与える

  臨港バス鈴木争議は、職場からの闘いと支援の基盤が弱いことでした。営業所へのビラ宣伝も検討しましたが、運転士さんの出勤時間がバラバラで、入る門も一ケ所ではなく効率が悪い事が判明し実行しませんでした。キャラバンで営業所を廻って宣伝することは、話題性もあり非常に効率良く宣伝効果が大きく、職場労働者を励ます事も意図しました。

C 内部からの妨害で一時宣伝行動を中断

  キャラバン宣伝の有効性は論議の中で確認され03年9月16日から実施をしましたが、残念ながら1年5ケ月間程中断せざるを得ない時期がありました。開始した当初川崎市内のエリアを一巡しましたが会社もビックリし、相手弁護士から裁判所へ苦情がだされ、F弁護士がお叱りを受けたとして、宣伝を止めるよう強く宣告されました。仕方なく1週間程で中断し今後の善後策を検討していましたが、選挙か何かが入り宣伝カーでの音出しを自粛しなければなりませんでした。

そうこうしている内に陣営内からの障害が発生しました。「東芝と共同するような鈴木争議に公害の宣伝カーは貸さない」という、理由にならないこじつけで長期間に亘って宣伝カーが利用できず、宣伝を中断せざるを得ない状況になりました。あのまま継続していたら、会社との力関係が変わっていた可能性は否めません。こうした内部からの妨害は、この件に限らず何かにつけて横やりを入れ運動の障害をつくり、前進を阻む要因をつくりました。このない部からの妨害は、歴史の事実として、記録に留め残しておかなければなりません。

D 本格的なキャラバン宣伝の再開

2005年2月15日、中断してから1年5ケ月ぶりにキャラバン宣伝を再開しました。今度は当初の計画通り、原告の軽自動車を自ら改造して宣伝カーを作成し、音響に詳しい活動家の協力を得てスピーカーも取り付け、自前の宣伝カーを仕立て上げ、警察署へも届けて道路使用・宣伝許可証を取得し、何処からも妨害を受けない体制を整えて実施しました。初日は本社前で出発式を行い、連日行なう事を宣言して出発し市内をキャラバンし、営業所も廻って宣伝しました。当初は原告と役員を中心に弁士のローティーションを組んで平日に連日実施し、次第に土日や祭日も現役労働者が支援担当して行うようになりました。継続は力で、終盤には原告の熱意に共鳴して支援の輪が広がり、役員でない支援者が続々と弁士を引き受けてくれる状況が生まれました。06年04月14日、裁判所からの助言もありキャラバン宣伝は終了しましたが、1年2ケ月間連続して行い、その日にちは225日間になり、新しい峰をつくりました。

 11) 鈴木争議を支えてくれた基本勢力

猿島
  @ 情勢

神奈川では残念ながら闘う労働組合と自称する組合の支援は全く得られませんでした。マインドコントロールのじゅう縛から解放された、自主的・主体的に物事を考える個人や集団からの力に頼らざるを得ませんでした。主には神奈川で反合権利闘争を闘った経験者や神奈川争議団結集する人達と一部の民主的な労働組合が大きな力を発揮し、支援をして頂きました。これも、歴史の証言として、後世に事実を伝え残す為にも記しておかなければならないと思います。

  A 私鉄連帯する会全国大会に参加し支援を求める

  私鉄・バスの仲間である「私鉄連帯する会」は全国的に大きな勢力を持っています。毎年全国大会が開催されますが、関東の仲間と参加して大きな支援を受けて来ました。特に裁判所への個人・団体署名や要請はがきでは、大きな力を発揮していただきました。琵琶湖で行なわれた総会では、高裁要請はがき1,025枚の普及に協力してもらい、また、解雇争議であるために片道切符で出かけ、帰りの交通費は皆さんのカンパでの協力も受けてきました。

  B 関東バス部会の支援

同じバスの運転士という仲間であり連帯感が強く、地理的にも裁判傍聴や行動参加での支援をして頂きました。特に京王新労組の皆さんには、複雑で厳しい情勢の中での勇気ある支援をしていただきました。

 12) 裁判所への要請活動

  @ 個人署名・団体署名・裁判長宛はがきの取り組み

支援する会が結成され、一審の段階から「慎重審理・公正判決」を求める、個人・団体署名に取組んできました。一審地裁の段階では個人署名 筆、団体署名 団体の署名と、緊急要請はがき枚を裁判所へ提出しました。引き続いて高裁への「公正判決を求める」個人・団体署名に取り組み、最終的には個人 筆、団体の署名を集めて裁判所要請で積み上げました。最高裁へも緊急の団体署名に取り組み、集まった署名を持って要請行動を行ないました。

  A 裁判所前宣伝と要請行動

一審地裁の段階から公判日には京急駅頭での宣伝を皮切りに、一日行動を組み裁判所前での宣伝行動を毎回行い、臨港バスの異常な傍聴動員合戦では、常に会社を上回る動員を行い傍聴席も優位を占めました。結審後は、京急川崎駅頭での宣伝を行った後裁判所前での宣伝を行い、毎週1回は署名を持って要請行動を行ないました。高裁に移ってからも、公判日には裁判所前での宣伝を毎回行い、集めた署名を持って要請し、結審後は毎週要請行動を行なうと同時に、要請はがき作戦も行ないました。


     鈴木争議で行なった闘いの新しい展開

1、インターネットのフル活用

 そもそもこの事件の発端は、インターネットで「苦情」が全国に流れ、それを監督官庁である関東運輸局が察知し、社長以下役員が今謝罪に行っている。社長を動かした責任は重大であるという臨港バスの嘘とデッチアゲから始まったものです。労働事件の犯罪として始めてインターネットが使われたものです。従って最初からインターネットに深い関りを持った事件であり、裁判闘争の中でも原告側がインターネットをフル活用し、闘わざるをえない条件と必然性がありました。

  @ 準備書面・陳述書等、提出書類の弁護士さんとのやり取りに活用

弁護士事務所は銀座で足繁く通っていられない地理的条件にあり、多忙な争議運動では時間は有効に使わなければなりません。弁護団会議は必要に応じて開催し、討議を深めて意思統一を行ない、方針に基づいて実務は電子メールでのやり取りとなり、実務上事務局長を中心に放射線状の下記の構図となります。(執筆者→事務局長→弁護士→事務局長→執筆者)

 公判日前日等は、準備書面や陳述書完成のために交信は激しく、構図を飛び越えて交錯し、12時過ぎまで法廷準備の交信が行なわれました。 ニュース・ビラや要請書の作成にも、電子メールが有効・効率的に活用されました。 資料等のやりとりは添付送信し、FAXよりも効率よく送受信できました。

2、情報公開制度の活用

公共交通機関である臨港バスに対し、川崎市と横浜市から敬老パス・福祉パス等の名目で多額の税金が支出されていますが、情報公開制度を活用して開示請求を行い、資料を取得しました。

 @ 川崎市では関連資料800枚(費用8000円)が開示され、膨大な資料の中から臨港バス関係の数字を拾い出し、1年間に5億3000万円が臨港バスに渡されている正確な数字が判明しました。情報公開で得た資料は、その後公害や川崎市議団にも活用されました。

 A 横浜市では補助金の支出の方法が異なり、バス協会の申請通り一括して丸投げし、協会内で山分けしてその結果を横浜市はチェックもしていない事がハッキリしました。担当部署と1ケ月の提出期限の間に10回近く電話でのやり取りをした結果、書類は開示せず提示したものを臨港バスの部分だけノートに書き写す事で落ち着きました。横浜市から臨港バスへの補助金は、年間約3億円である事が判明しました。

  B 要請内容の実施状況チェック
 私達争議団が、川崎市と横浜市に行なっている要請行動が、各自治体によってどのように実施されているか開示請求を行ないました。結果は二市の間で明暗がハッキリ分かれました。

   イ、川崎市  私達の要請どおり、企業に対して要請内容を伝え、要請書を送り会社の対応も掴む努力を行なっている事が分りました。
   ロ、横浜市  何の資料もなく、何も行なっていないことが判明しました。担当者と10回近い電話でのやり取りをした結果、最後に出てきたのは、争議団が要請した「要請書」と、要請を受けた担当者の個人メモと参加者がサインした名簿だけでした。
   ハ、開示請求以後横浜市の要請を受ける態度はガラリと変り、正しい対応に改善されました。

3、厚生労働省への情報公開・川崎労働基準監督署

 厚生労働省へも情報公開による開示請求を行ないました。内容は、鈴木哲夫氏が退職強要を受けた2000年度、1年間に被控訴人臨港バスを所轄する川崎南労働基準監督署管内に於ける、2000(平成12)年度1年間に受理した「解雇予告除外認定申請及 び決裁文書」の行政文書開示請求を行ないました。管内の管轄対象企業は13,173企業・事業所で、労働者数は193,448人(平成13年度定期調査=川崎南労基署調べ)を管掌する労基署です。

 行政文書開示請求で開示された、解雇予告除外認定申請書及び決裁書、つまり企業が行なった懲戒解雇が妥当であるか否かを申請し、労基署が調査して認められたのは、たったの8件でした。20万人近い労働者数のなかで懲戒解雇が行なわれ、川崎南労基署によって処分が適法と決裁されたのはたったの8人という事になります。企業から懲戒解雇を申請された8案件の全てについて、職員が出向いて被申請者と面接調査を行い、更に関係者を呼び出す等して、実地調査を行って検証し、窃盗事件等で被申請者が拘留されている場合は、職員が警察署まで出向き接見を求め本人から事実の確認をする等の努力がなされています。臨港バスでは本人からの聞き取り調査もせず、一方的・主観的に断定するのと比して大きな乖離がありました。

  開示された8件の内訳は、窃盗・背任7件と長期無断欠勤1件で、監督署が調査しても連絡さえ取れず、常識で考えても懲戒解雇やむなしと判断できる悪質なケースであり、誰もが納得する案件であると言えます。更にこれらの被申請人は、監督署の意思確認に対して「懲戒解雇されてもやむを得ない」と認めているのです。横浜地裁川崎支部一審判決では、「原告には懲戒解雇事由に相当する事由が存在していたというべきである」と結論づけていますが、事実誤認も甚だしいと言えます。

  また、被控訴人会社の主張する内容は、労使一体の労組幹部に代弁させた会社方針である事は明らかであるが、事情聴取書(五野秀一氏)「会社にばれたら懲戒解雇になると思った」と言い、事情聴取書(吉田公晴)で「緊急賞罰が開かれたら、解雇は避けられない」と、懲戒解雇を断定しています。厚生労働省の開示した公文書で見てきたように、企業を防衛する為にやむに止まれぬ事情以外に、懲戒解雇を乱用する企業は皆無でした。

 ましてや、臨港バスの行なった行為は、事実無根の「苦情」を捏造して懲戒解雇で恫喝し、退職を強要したものであり、これは、企業の果たすべき社会的責任を放棄するだけでなく、社会常識から乖離し、企業倫理を逸脱した暴挙であり、最悪のブラック企業と言わざるを得ません。厚労省の情報公開で得た資料を陳述書としてまとめ、「懲戒解雇の認容に関する行政の実態」と題して、東京高裁への証拠として提出しました。

4、キャラバン宣伝 本社前・営業所・京急駅頭・大師駅頭等の効果的な場所で宣伝

既に社会的包囲の運動の項で、詳しく述べていますので重複は避けますが、225日間連続して行って来ました。地域独占でしかもエリアが狭く限定されている公共交通機関であるバス会社にとって、キャラバン宣伝は急所を突かれ、窮地に追い込まれ音を上げざるをる得ない効果的な戦術であったと確信しています。



      終章・・・真実を追究する闘いは終わっていない


1、 臨港バスを震撼とさせた鈴木争議

京急本社
  臨港バス鈴木争議は、支援する会の結成が一審地裁の半ばであり、不当解雇されて2年8ヶ月も経過し遅れた時期でした。その間に、裁判を知らない初心者の弱点と隙を狙い、その間隙を突いて臨港バスの陰湿な謀略と策動が巧妙に行なわれました。藁にも縋りたい原告の心理につけ入り味方を装って巧みに潜入し、こちらの情報を探る不可解な人物が原告に近づき情報を引き出す為に出没したりと、奇怪な動きがありました。

 手持ちの重要な証拠であるテープや資料も会社側に引き出され握られて対策を立てられてしまうという、スパイ映画まがいの策謀が実際に行なわれた事が、後に原告からの報告で明らかになりました。裁判戦術上の重要資料も事前に入手され手の内を探られ、相手を有利にさせてしまったとという、一人争議の弱点で未経験な盲点に付け入るという、緒戦の段階で不利な立場に立たされる条件を与えてしまった事になります。

 それのみならず、味方と信用し頼り切っていたF田弁護士と、被告弁護士とは司法修習同期生、数年の浪人でやっとどうにか司法試験に合格したF田、被告弁護士には頭の上がらない関係、法廷は芝居で裏取引の約束があったという。原則的に闘う支援する会とは、「私の見解とはどうしようもなく違うしかけ離れている」「そういう人達とは一緒にやっていけない」と言うのは、F田弁護士の偽らざる本音だったのでしょう。生前見舞いに行った病院で、死を自覚した原告が意を決して最後に打ち明けた言葉でした。

  しかし、今まで記して来たように「臨港バス鈴木哲夫さんの職場復帰を支援する会」は、地元中小企業ではあるが、地域独占という特質を持ったブラック・バス会社の不当解雇を撤回させる闘iいとして、こじんまりと纏まった組織では あったが、その活動の内容を分析すると、会の規模を越えるスケールの大きな素晴らしい運動を展開してきた事が認められると思います。これは自画自賛ではなく周囲の皆さんからの評価を受けてきたところです。それは何よりも、原告の執念と頑張りに共鳴し、鈴木争議に対する多くの皆さんのご支援が有ったればこそ可能なことでした。

  最高裁の決定が出され、司法の場では勝利したのに運動は止まるところか益々大きく広がり争議はず終らない。これはどうしたらいいのであろうか?、と会社に不安を与えたのは確かでした。そして、 最高裁で勝利した会社に、「争議を解決したい」と言わしめ、解決交渉のテーブルを設定させた事からも明らかです。鈴木争議が最終盤、臨港バスをして震撼とさせた事は事実です。唯一つ最大の反省点は、素晴らしい運動を展開し会社を追い詰めたが、柔軟な方針を打ち出して解決の着地点を探るという、短期決戦で臨んでいたら運動に相応した結果が出ていたに違いありません。方針上は明確に持っていながら、若干の決断の遅れから、運動に匹敵する解決水準を確保出来ずに集結。反省点として、そうした解決のチャンスを逸した点については、今後の教訓として重要な内容が含まれている。

2、 分りにくい結末で決着したことについて

 @ 信義則をも反故にするブラック企業臨港バスの救いようのない謀略体質

   臨港バスは解決交渉に応ずる振りをしながら、自ら持つ謀略体質から最後まで抜け切れず、交渉の中味については公表しないし、「例え再度訴訟になっても使わない」事を自ら提案してきました。これは、争議解決交渉の常識であり、イロハですから当方も了解したのは当然のことです。ところが自ら提案し締約した中味を反故にし、盗聴したテープを反訳し、細大漏らさず(会社に都合の良い部分だけ)裁判所へ提出してきました。正に信義則に反する行為というべきで、争議には厳しいルールと信義則があります。絶対に越えてはならない一線、ハードルを倒して越えてしまった臨港バス、当時の役員と代理人に将来のない事は明らか、天罰は必ず下されるでしょう。

 A 壁になった旭ダイヤモンドの判例

  内容の違いは大分ありますが、過去に臨港バスが起こした仮処分同様の争議がありました。こちらは解雇されたが提訴せず、逆に会社が雇用契約不存在の裁判を起こし、労働者側が最高裁で敗訴し、司法の判断では決着済みですが、運動で解決するとして、最高裁敗訴後も運動を続けていました。会社が仮処分裁判を起こし労働者側が敗訴し、運動に制限が加えられると共に損害賠償も課せられました。攻めの闘いではなく守りになり、一定の制限で規制された中での闘いは、運 動の広がりもつくり出せません。財政的にも運動としても消耗戦となり、内部に疲弊をもたらすだけで何のメリットはなく、争議経験豊かな組合や争議団であれば、選択肢として避けるべき闘いでしかなく、勝って元々、勝利して残るものは何一つ有りません。しかも、現在の力関係・情勢ではその可能性は小さいと判断せざるを得ませんでした。

 B 後に続く争議の障害をつくらない柔軟な対応

  労働者に保障された団結権と争議権に、手枷足かせが嵌められてしまえば、労働者の闘いは前進しません。それどころか警察権力の介入を招き益々運動を困難にします。こうした結果を招く事は避けなければなりませんし、後に続く争議団の闘いに支障を期たす恐れが大きく、厳に慎まなければなりません。つまり、臨港バス鈴木争議の闘いに制限が加えられるような結果を招けば、後に続く神奈川の争議運動に障害をもたらす危険性があり、今後の争議運動にマイナス要因を残す結果となり、絶対に避けなければなりません。

 C 国家の品位が低下している

  そうした矢先、「この争議はどちらも益にはならず5〜6年もの長期に亘って消耗戦になるだろう、愚かなことをせず和解をしなさい」という、裁判長の強力な訴訟指揮がありました。定年間近で川崎支部の裁判長、現在の日本は「国家の品位が低下している」と公言して憚らない裁判長。正しい判決を出したが為に地裁の支部をタライ回し、ドサまわりをさせられ苦労してきた裁判官でした。私も数十件の裁判に関わり、初めて世間を知り労働者の気持を理解する裁判官と巡り合いました。現在の政治情勢は、政権党が圧倒的多数を占め、官僚もマスコミも右傾化し、右翼的と分別されていた学者さえも自分の主義主張をまともに表明できない、日本の底流に極右傾化の激流が流れている。最も保守的で身の保全を中心に考え政治の動向に敏感な裁判官が、この流れに左右されない筈は有りません。

 裁判官の心証の大きな部分は、事件(争議)の内容よりもそこで形成される事が大であることは充分承知していました。例え一箇所で勝訴したとしても、上級審へ行けば必ずひっくり返され、勝利する可能性が少ないことは理解せざるを得ませんでした。3回目の審尋直前、裁判所の職権和解案が提示されました。本人は勿論、弁護団・支援する会三者で何回も会議を重ね、柔軟な対応で和解に臨む事を意思統一し、裁判所を通しギリギリのところまで交渉を詰め、鈴木争議は裁判所の職権和解で終結しました。解決の中味については「ビラ等で公表しないでくれ」という、臨港バスのたっての要請であり、こちらは紳士的に対応し公表を控えました。

3、ご支援して頂いた皆さまに心より御礼を申し上げます

 臨港バス鈴木争議は、以上の経過をたどり解決しました。最高裁敗訴後も果敢に闘い続け、支援の輪を広げてきました。原告本人の正義を貫く執念と頑張り、支援する会の団結した力、今まで経験した事のない悪徳弁護士の裏切りや姿勢とも対応、最後に真面目な人権派弁護士とめぐり合い、悔いのない闘いができました。何よりもこの闘いを支援してくださった多くの仲間に支えられ、全国的な支援が有ったからこそ闘ってくることが出来ました。ご支援して頂いた皆さんに心より感謝の意を表明したいと思います。


4、法令順守を失し呪われたブラック企業に未来は有るのか・・・

鈴木原告宣伝
  最高裁で不当決定(敗訴)が出されても尚、「運動で職場復帰する」と、果敢に闘った鈴木哲夫さん、争議というのは寝食を忘れ不規則な生活を余儀なくされ闘わざるを得ません。こうしたブラック企業臨港バスによる不当解雇との不屈な闘いを続け、心身共に過剰な負荷とストレスが、鈴木さんの体力を消耗させ抵抗力・免疫力を減退させ、本人も知らぬ間に、病魔が鈴木さんの身体を蝕んでいたのでしょう。

 併せて、争議終了後もブラック企業臨港バスの謀略と悪質な仕打ちによって、平和な家庭と生活を破壊された怒りは、一時も頭から離れた事は無かったことでしょう。争議終結後も、一日として安穏な日々を送れる状態ではなく、ブラック企業臨港バスに対する怨念を忘れた事は無かったものと思われます。鈴木哲夫さんはそれらの無念さを胸に残し、2013年9月11日、永遠の眠りにつきこの世を去りました。未だこれからという、享年65歳の早逝でした。9月15日荼毘に付され、争議を共に闘った友人代表として、遺骨を拾わせて頂きあの世へのお見送りをして参りました。

戒名は「慈覚英哲信士霊位」、俗名鈴木哲夫さんの生前の奮闘とご冥福を祈り ”合掌 ”





ボランティア 22−2、《 F 田 弁 護 士 珍・迷 言 録 》

       (参 考 資 料)


                                        注 (    )内は編者


◯ 私が主任をやった裁判で今まで判決で負けたことは一度もない
       
〇 鈴木裁判も6対4で勝算はあった
             (私たち運動体はそんな事は信じず運動をつくってきましたが・・・)

〇 負けたのは運動が脚を引っ張ったからだ

〇 五分五分で拮抗しているときは裁判所の心証で決まる。運動が妨害して負けた
              (”敗軍の将OOを語らず”が常識ですが・・・)

〇 支援する会の人達は我々がつくってきた労働運動を全て打ち壊した
                 (えっ!弁護士が労動運動を?)

〇 自由法曹団がつくったものをみんな駄目にした
        (自由法曹団がつくってきたのはそんな程度のちっぽけなものしか・・・?)

〇 大衆的裁判闘争は自由法曹団がつくってきた

〇 とにかく彼等は弁護士の言う事をきかない
       (裁判の主人公は原告では? 何様のつもり? 雇用関係も知らないで弁護士家業を?)

〇 話をしても彼らは絶対に変わることはない

〇 私はずっと恥をかかされてきた
               (能力がなくて・・・?)

〇 彼等は怒ったり怒鳴ったりするでしょうけど彼等とは一緒にやっていけない

〇 会社の役員とか社長はたまたまその時やっているだけで個人攻撃をしているだけ
             (役員宅要請の件・リストラの方針を決め、不当解雇を実行させた責任は?)

〇 裁判所と連帯していかなければ勝てない
   
〇 裁判所を味方につけないと

〇 裁判所に共感を持たれる行動にしないとダメ

〇 そのことで騒いで書記官を巻き込んで揉め事を起こし裁判所の心証を損ねて不利にして負けた

〇 裁判所の職員の8割は「全司法」の組合員であり我が方の味方である(甘ちゃん?)

〇 支援する会は会社も裁判所も敵だと思っている、罵倒をあびせるような行為は良くない

〇 会社が紳士的ととられ、こちら側は暴力的ととられてしまう

〇 支援する会は逆の方向にばかりいっている

〇 私の見解とはどうしようもなく違うしかけ離れている

〇 私はものすごい違和感を感じた
   
〇 そういう人達とは一緒にやっていけない

〇 会社はリストラ達成のために鈴木を排除したのと違う
        
〇 鈴木は一般の組合員が不平や不満・愚痴を言っているのと同列でそれがチョッと目立った程度だ

〇 労働運動の闘士であるかのように誇大に描いて宣伝するのは事実をゆがめている

〇 職場では鈴木をリストラ反対の闘士とは誰も見ていない
             (誰もそんなことは言っていませんが・・・?)
     
〇 鈴木裁判は「市民的労働事件」である     〇 リストラとは違う問題だよ

〇 傍聴席を多く取る事が良い事ではない
 
〇 会社が傍聴動員するのは悪い事ではない

〇 誰が並んで誰が入ろうとそんな事は関係ない

〇 ビラは内容的に的を外れている
    
〇 裁判の主張と違う内容になっている

〇 二万人の署名は確かに凄いと思う。しかし、裁判所の意識を変える表現と方法が間違っている

〇 大衆的裁判闘争とは違っているし、かけ離れている

〇 過激な行動で負けたとまでは言わないまでもかなりの要素はある

〇 それはできないよ!自分が降りて他の先生に頼むなんて・・・・
            (”先生と言われる程の00でなし”エッ! 自分も先生とお思い?)

〇 ま―病気だとか死んだとかなら別だけどネ
    
〇 川合だけは全員ダメよ!

〇 支援する会は全国に恥じる”裏切り行為”を行なった

〇 裁判所は皆さんを”暴徒”とみなしてる、そう思われて当然だ

〇 この事件は仮処分で負けている裁判だから・・・

〇 運動だけでは裁判は勝てない
            (十分承知・F田弁護士が法廷で負けたのではないの ?)

〇 事務所の体制がなくて一人、二人は付けられなかった(着手金2人分取っておいて・・・?)

〇 高裁に行くようになったら複数の弁護団を考えるから

〇 私はいつ降りてもいいよ
           (自分に都合悪い事を言われると代理人を降りるというのが口癖、情けない男)

〇 代理人は進級ごとに代わってよい、地裁担当の任務は果たしたのでここで降りる

〇 労働事件は割に合わない、鈴木さんの分を他に当てれば5人分の”実入り”になっていた


      ( F田さん  哀れ悲しや  弁護士が 仮面を剥げば 守銭奴なりし )

       ( 能力(ちから)なく 裁判官に ゴマをすり それでダメなら 裏取引で )

        ( 法律の 知識チョッピリ 倫理なく 金の亡者は 節操を売り )

      (F田さん 弁護士騙る 詐欺師かな 二人受任と 一人で着手)
 
      (哲ちゃんか 俺だおれだよ 弁護する 相手弁護士 同期のサクラ)





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