ボランティア

2,首都圏をエリアに若者を集めたサークル活動

ふきの旅
  私は終戦前の生まれ、終戦で招集されていた若い兵隊さんが戦地から帰国、第一次ベビーブームの人達は、私より5〜6歳若い。池田勇人内閣が打ち出した「高度経済成長政策」=「所得倍増政策」が打ち出されて、中学を卒業すると、”金の卵”ともてはやされ、安く使える労働力として集団就職列車につめこまれ、工場へ就職し大都市へ若者が集中してきた。そんな青年達を正しく健全に成長させようと、サークルを組織し主宰していた。

 その頃は大新聞もこうした活動に協力的で、無料で紙面の一部を割き、週に一度はサークル員募集の短い宣伝文を掲載してくれた。私が主宰していたサークル名は「蕗の会」と称し、新聞に2〜3回取り上げられたこともあり、東京・神奈川を中心に50〜60名の会員を擁し活動していた。

 「蕗の会」は、文化部と娯楽部があり、月一回ボーリングやハイキングを行い、子供の国へ行ってフォークダンスを踊ったりして過ごす、健全な集まりであった。そうした活動や行事の後に全員が感想文を書き、文化部を中心に集まり、文集を編集して作成し配布した。ワープロなどまだ存在しない時代で、2〜3人で手分けし、ガリ版刷りの苦心作であった。三つ峠から河口湖までのハイキングを行った際は、白糸の滝を観た帰路に雨に降られ、幸い途中に会員の実家が在ったので、暫く雨宿りさせて頂き、ズブ濡れにならず、熱い御茶をご馳走になり幸いであった。

  大きな行事としては、夏に白樺湖のバンガローへ泊まるキャンプを行い、30名近くが参加して盛大に行われた。 自分たちで食事を作り、夜はキャンプファイヤーを囲んで輪になって踊り唄い、アルコールも多少入り楽しい一時を過ごした行事であった。翌日は皆で車山へ登り、頂上で昼食を食べていると急に濃霧が湧いて流れ、「ワァー涼しい!霧ヶ峰だー」とはしゃいだ。下りは安全を期して全員がリフトで降り、バンガローへ無事帰着、荷物をまとめて帰路についた。この時は、参加者全員が感想文を書き、ガリ版刷りの「ふきの旅」と題して、立派な文集が作成され、記念誌として残され大事に保存されている。




トップへ(vulunteer)






inserted by FC2 system