ボランティア

19、鉄の扉ひらいた男たちー神戸製鋼争議勝利総括集ー

ー神戸製鋼3つの争議一括勝利解決の記録ー

        (1992年4月20日〜2001年6月26日    9.2 年)


T、なぜ争議をはじめたか
 
神鋼総括集
 かつて(1955〜1957年)、神鋼労働者も鉄鋼資本と全面対決、激しいストライキを決行して闘った時期がありました。これに対して、神鋼においても1953年頃より会社の方で密かに人選を行い、出張扱いで、三田村学校(反共労務対策専門の三田村四朗主宰)に派遣し、その卒業生を中心にインフォーマル組織「労働問題研究会」を結成し、会社派幹部として育成、組合機関を占拠させました。会社の人員削減合理化計画を100%前倒し達成に協力する労働組合に変貌させました。一方民主的で階級的な組合活動家に対しては、その後労使一体で会社が導入したアメリカ式労務管理を武器に作業長制度を使い、露骨で徹底した孤立化とあらゆる差別を行い、その頂点として生活破壊の「賃金差別」、兵糧攻めを行いつづけてきました。

 長い差別とは来る日も来る日も職場で隅っこの吹きだまりのゴミ扱いされ、知らず知らずのうちに心にも影響し、活動家勲章論で何とか心のバランスを保っていました。差別を許し、闘わなければどんなりっぱなことを言っても、労働者は会社への恐怖心で逆らえず、客観的には職場専制支配の道具にされ、その片棒を担がされてきました。職場は能力主義という恣意的評価によってバラバラに分断され荒廃し、自己保身が蔓延して人材が育たず、経営陣の総会屋への利益供与はその極みといえます。これら、会社が行ってきた不法・不当な人権侵害、賃金差別を社会的に明らかにし、是正させる。以上の思いで争議を始めました。

           U、闘いの目的

  1、労働者の社会的地位の向上へ

 先ず何よりも神戸製鋼が行ってきた、労資協調に組せず労働者の立場に立って、会社の人減らし合理化に反対して活動する。労働組合活動家の職場内外の日常活動及び私生活、その妻子友人にまで及ぶ公権力を使ってまでの監視体制によるよる不法な人権侵害、年間60万円〜280万円におよぶ賃金差別、活動家が仕事をおぼえ向上していく意欲を打ちくだく昇給昇格差別、技能技術教育の受講差別、その他あらゆる差別を社会的に告発断罪し、撤廃させ、差別賃金を支払わせ救済させる。差別を受けている私達活動家には、

@賃金差別されることは労働組合活動家の勲章にはならない、違法行為(不当労働行為)としての賃金差別を撤廃させる責任がある。A他の組合員へのみせしめにし、職場専制支配の道具にされている賃金差別を許さず、労働者支配のカナメであるその手を縛る責任がある。B神戸製鋼(鉄鋼産業)の労働者の無権利状態と低賃金のしくみとその実態を社会的に明らかにしていく責任がある。C具体的課題を通じて、地域や全国の階級的労働組合、民主勢力との協力共同の闘いをつくり広げる。D公然とした闘う労働組合(グループ)として、労働組合法の適用のもとに運動を行って要求を獲得する。E賃金差別、人権侵害に対する職場から反撃し闘いを行う。以上を通じて、自ら侵された賃金差別、人権、人間の尊厳を回復し、もの言える職場と民主主義を前進させ、労働者の社会的地位向上運動の発展に寄与する。
 
2、 神戸製鋼とはどんな会社か

  神戸製鋼は、「鉄は国家なり」と言われる日本の基幹産業であり、鉄鋼5社の中で5番目に位置し、日本政府から手厚い保護を受けている。歴代の監査役には、関東管区警察局長、公安調査庁長官(元)が就任するなど米日独占資本、国家権力との結び付きが根強く、下請け単価切下げ、人減らし、石炭火力発電所建設と稼働の強行など企業利益最優先の経常方針は地域貢献とは名ばかりの地域住民に背をむけた経営をおし進めている。

  神戸製鋼は、労務政策においても真先にアメリカ式労務管理手法を導入し、年功賃金から能力給賃金に移行し、労働組合役員選挙への支配、介入、体系的な社員教育制の確立など職場労働者の闘うエネルギーを抑圧し搾取の強化をはかる典型的な日本独占資本の一つです。神戸製鋼の場合はその経営基盤が脆弱であるがゆえにその「合理化」攻撃は野蛮であった。神鋼は1兆8525億円(連結2001年3月期)の内部留保には全く手をつけず巨額のかくし利益を労働者に隠したまま、一方で「巨額の欠損金、疲弊した財務体質、市場の信任を回復するため」を口実に「経営環境の悪化に対応」するとして全社員を対象に年収水準の5%引下げ、1300名の追加人員削減、新たに雇用延長型転籍制度の導入、退職金制度の大改悪を押付けてきている。

V、 神戸製鋼”3つの闘い”の意義と争点

     はじめに

  昭和30年代、鉄鋼労働運動は「賃上げ」や「一時金闘争」、そして「労働協約」闘争など、日本の労働運動の中でも先進的役割りを果たしていました。こうした鉄鋼労働運動の強まりに危機感を待った日本の鉄鋼資本は、国策の推進・鉄鋼一貫体制の製鉄所づくりを構築するために長期的な展望の下で労働組合へ支配・介入し、労働組合丸がかえ攻撃を強化してきました。神戸製鋼の13名の労働者が闘った”3つの闘い”は、こうした鉄鋼資本の長期に亘る労務管理の実態を告発し、社会的に明らかにする闘争であったと言えます。

(1) 労務管理のシステムづくり

 昭和30年代、活発な組合活動が展開されていた鉄鋼の組合では、役員の中に少なからず共産党員や社会党員及びその同調者がポストに就き、先進的な役割りを果たしていました。鉄鋼資本はこうした鉄鋼労働運動の高まりに対し「鉄鋼を第二の炭労にするな!」を合言葉に、執拗な組織介入を行ってきました。フォーマル組織として「作業長制度」を確立し、役職者を中心にして「労働者の手によって労働者を管理」させるシステムを作り上げました。

 このシステムはラインアンドスタッフ制度とも呼ばれ、職場の末端組織を班単位で組織し、労働者の5名の中に1名の班長を配置し、班長を中心に労働者を組織し、その上に「組」 (作業長・もしくは職長と呼ぶ)によって班を管理していく。その上に「係」「課」を配置して、一人ひとりの労働者を三重・四重に管理していくものでした。また、この作業長制度の特徴は、これまで人事権(労働者の勤怠の取扱い等)を課長(室長)に集中していたのを、作業長に大幅に委譲し、労働者の手によって労働者を管理するものとなりました。このことによって、労働者個人の労働時間の管理はこれまでの「タイムカード」による個々人管理から、作業長(職長)との面着による管理に変えられ、作業長の指先一つで労働者の勤怠が取扱われることになったのです。

  その後、作業長の権限は拡大されて、個々の労働者の作業配置まで自由にやれることになり、職場は必然的にラインによる支配力が高まり、一人ひとりの労働者は好むと好まざるとにかかわらず、役職者の顔色を見て働かざるを得なくなってきました。また、スタッフ制度はこのラインを側面から補強する役割をはたし、個々の労働者を属人的に管理するシステムまで強化されることになり、職場での先進的組合活動は、このシステムから排除されていくことになると共に、組合役員選挙においては、活動家を組合役職から巧みに排除していくシステムとなっていったのです。

(2) 能力主義の名による「みせしめ差別」

  ライン・スタッフ制度の管理とシステムを容易にし、労働者を分断支配するために、鉄鋼に持ち込まれた労務管理の大きな柱が「賃金体系」の改定です。これまでの鉄鋼の賃金体系はいわゆる「年功型賃金制度」と呼ばれるもので、その基本は初任給に毎年の定期昇給が増額され、それが基本給の基礎になり、それに賃上げ分がこの基本給に比例して増額されていくシステムで、年功を積むことにより必然的に賃金総額が増加していくものでした。ところが、昭和39年以降、職務給が導入され、賃金の増額と社員制度(資格制度)が結合されたことによって、ライン(職長)による「考課査定」制度が制度化され、それが毎年改訂され、賃金体系の中に占める「考課査定」は80%にも達することになりました。こうした「考課査定型賃金」は、賃金のみでなく、一時金にも導入され、拡大されていきました。その上、この「考課査定」は、通常作業上の労務管理に適用されるのみではなく、鉄鋼の場合は労働組合管理・介入の武器として用いられることになったのです。

  日常作業上、ライン・スタッフ制度の職場管理の充実の中で、組合活動家が個々に職場で浮き彫りにされると、その一人ひとりが職場の中で「みせしめ差別」の対象として、みせしめを受け、良心的組合員との分断が進められ、制度化された「能力型賃金体系」は、役職者の恣意的運営の中で、組合活動家と目された労働者に厳しい差別を受けさせることになりました。

(3) 組合活動家の扱われ様

  鉄鋼資本はフォーマル組織としてのライン・スタッフ制度を充実させ表面的な労務管理をやらせるかたわら、インフォーマル組織を確立し、三田村労研等へ派遣して、労資協調路線(合理化協力・成果配分方式)の組合活動基調を労働組合の中心に据えると共に、会社派組合役員を育成・擁護してきました。こうした攻撃と併行して、組合活動家と目された組合員に対しては、作業上の些細なミスや事故を取り上げ、みせしめ処分を行い、組合員との分断をはかったり、退職へ追い込むという不当労働行為を繰り返し行ってきたのです。このため、組合活動家と目された組合員は鉄鋼の職場に嫌悪感やアキラメを感じ、自ら退職したり、転向攻撃に応じ、急激に少数派へ転落していきました。しかし、鉄鋼の職場に生き残った活動家は厳しい資本の攻撃に屈することなく、力強く闘いを続け、隔年に行われる組合役員選挙に立候補し、厳しい会社側の介入の中でも約10%の支持を獲得して、日常活動は多くの組合員に勇気と自信を与えました。
    

(4) 怒れる13名の鉄の仲間の闘い

  昭和30年代、当時の組合活動家は「差別を受けて一人前・・・」「会社から睨まれ、差別は勲章や・・・」と叱咤激励されて育成されてきました。神鋼の闘う仲間もほぼこの時代に、鉄鋼の仲間と同格に育っていました。その後も、ネバリ強く、鉄鋼資本の人べらし合理化に激しく対峙し、職場抵抗闘争を展開しつづけました。神鋼の仲間「左派等活動家」は、広く組合員の声や下請労働者の声を組織し、「明るい職場づくり政策」をつくり上げ、その実現のため死力を尽して闘いつづけました。しかし、会社側の容赦のない攻撃は、個々の労働者を苦しめ、年々強化されていく「賃金改訂」と「みせしめ政策」の労務管理によって、活動家と目される組合員は「同年令・同勤続者」の他組合員と比べ、年間、60万円から400万円もの差別を受けることになったのです。昭和40年代からこの30年間の間で、鉄鋼の職場で最も「権利を奪われていた」のは、まさに、こうした左派等活動家です。

  鉄鋼資本の長期的展望にたった労務管理・活動家と一般組合員との分断支配は、こうした「不当労働行為」の中で、ほぼ成功し、鉄鋼の労働組合は大手5社を中心に労資協調路線派に牛耳られることとなりました。このため、神鋼の左派等活動家は、このまま差別を黙認し、泣寝入り状態で見過ごせば、@鉄鋼の職場に新たに良識的組合活動家が育成できないし、誰もまじめな組合活動家はいなくなる。また、Aこうした労務管理を放置すれば、鉄鋼に限らず、他の産業に拡大され、労働組合の骨抜きが広げられていく。さらに、思想信条の自由等が侵されたままの職場を、このまま放置すればすべて大企業の職場は「治外法権」に晒され、ドレイエ場がつくられていく。ことを確認し、やむなく1992年4月、兵庫県地方労働委員会へ「不当労働行為の救済」を求め提訴しました。

 (5) 新たな出向攻撃、さらなる搾取強化は許せず

  会社は、更に利潤追求を目論み、仕事も仕事をする場所も全く同じで労働時間延長、休日減少、勤務形態を4直3交替から3直3交替制へシフトダウンさせ、労働者の生態リズム無視の不定期な休暇制度にし、家族が団欒うる「生存権・生活権」を奪う「職場丸ごと出向」を、労使一体で押付けてきました。神鋼では94年9月に「出向命令無効確認請求裁判」が神戸地裁で闘われていました。さらに97年3月―日、すでに地労労委に「賃金差別是正」を申立て闘っている4名(加藤、渋田、尾村・鴨川)の所属する職場を、「職場丸ごと出向」とし4名は白紙撤廃を求め反対して闘いました。会社は「職場丸ごと出向」に反対することを予測し、1年前からあらかじめ設立して置いた勤務制度が同等の「ペーパーカンパニー」へ出向先を変更し、賃金低下を伴うみせしめの職場に出向命令を出し強制出向させました。そこから訴訟を起し、会社の実態を社会へ知らせる闘いを始め、2つの「出向命令無効確認請求」裁判闘争が始まりました。

  神綱の全職場を面とすると「職場丸ごと出向」は小出しに少しずつ点として行われるので労働者全体の門題とならず、争議団員もその、一部であるところから出向裁判に対する認識のずれが争議団の闘い全体に負の影響を与えました。点が広がり面の50%以上を越え、神鋼の労働条件は3直3交替勤務の労働者が多数を占め、その労働実態の超苛酷さを示す羅病率は70%にもなりました。出向労働者の増大とともに「出向命令無効催認請求」裁判闘争に対して期待と関心が労働者の中に高まり広がりました。
           
     (6) 出向裁判と争点  <生活と権利を守るため、闘うしかなかった>

  この出向裁判の争点は出された出向命令が無効であるか又は有効であるかです。被告会社はこの出向は、1995年1月の阪神淡路大震災によって、設備の損壊、機械損失を中心として、1020億円もの被害を被った上に、成品価格の下落にみまわれ、95年7月特定雇用調整業種の指定を受けるまでになって、無配を余儀なくされ、累損解消、復配を最重要課題として早期に実現すべく、神戸製鉄所としても徹底した収益改善を図る、コストダウン、固定資産税削減、要員合理化として、95年、96年で累損解消、黒字化。本件の棒鋼加工・分棒加工、両工場の設備と業務を97年3月1日で付けで丸ごと「(株)島文」に一括移管、同時に両工場の従業員全員83名を「職場丸ごと」出向させ、勤務形態を4直3交替から3直3交替にシフトダウンさせることによって、1直分の要員以上31名の要員削減を図ったものである。原告を省く83名の従業員に対する「(株)島文」への出向及び原告4名に対する「神戸総合サービス(株)」への出向命令は、就業規則、労使間の出向協定で定められた労働組合との間の協議を経た上でなされたものなので合理性があり有効であるとの主張でした。

 (7) 労使一体で労働者の健康破壊・自殺者も

  健康破壊も深刻化、10人に7人が罹病、昨年来加古川製鉄所で3人の自殺、神戸製鉄所でも2人(電車へ飛び込み、工場内での首吊り)が自ら命を絶ちました。復帰することのない過酷な労働を伴う「職場丸ごと」出向に展望はなく、職場モラルの低下、技術継承の弱体化、日本鉄鋼業の一員である神鋼で質の高い製造業として品質、多品種、納期と国際競争力を支えてきた、現場労働者の高い熟練度、工程管理、品質管理能力が消失して行くこと。出向について、被告神鋼が合理性の根拠として、協議したといっている労働組合機関役員は労働室にて人選、職制機構を使って選出され、組合機関とは到底いえないものとの協議によって出向命令をだされ、神戸製鉄所内で一番職務評価の低い(ゴミ集め、更衣室、風呂掃除)を業務とする、年間196、000円もの賃金低下が伴う、原告が「職場丸ごと」出向に反対することを予測して、1年前にあらかじめ設立しておいたペーパーカンパニー「(株)神戸総合サービス」へ停年まで復帰することのない片道キップの転籍同様の扱いで、同意を得ず出向命令を出し強制出向させました。

  (8)  日本の将来を見つめた闘い

  このような出向は転籍同様に民法625条―項の趣旨、労働条件対等決定の原則(労基法)を適用し、労働者の同意のもとに行うべきです。この強制出向は原告がこれまで培ってきた職務能力、技術、経験と熟練を上昇させ産業の米と言われる、鉄鋼製品生産への参加を通じて、労働者として社会への貢献に対する自負心と誇りを踏みつけて否定され、長い間労働者の社会的地位向上に向って生きる希望としてきた労働運動の場も奪われたことを主張しての闘いでした。今、労働者を巡る状況は厳しいものがあります。職場の状況を見れば、労働者は使用者とは利害が対立し闘うことなくして生活も権利も守れません。それは歴史が証明しています。出向裁判はこれから日本中に広がりつつある合理化法、資本の利潤追求優先、神鋼経営陣と自己保身の労組役員の犠牲にされた労働者の、深刻で過酷な労働実態と生活実態を告発し、社会と司法に問う闘いの一つでした。

W、支援共闘会議の結成

1、 勝利まで共に闘おう

  神戸製鋼では30数年にわたり正当な労働組合活動を敵視し活動家に対して「みせしめの差別」と権利侵害の攻撃が執拗に行われてきました。12名の労働者は苦闘の末の社会的告発として1992年4月に兵庫県地方労働委員会に「不当労働行為」による賃金差別の是正を求めて提訴しました。この鉄の男たちの勇気と心意気をたとえ、勝利まで共に闘おうと1992年5月に神鋼争議の支援共闘会議が結成されました。原告の地労委提訴―力月後という早い時期に支援共闘会議を結成することができたのは、それ以前に大企業の社会的責任を追及する地域の運動実績があったからと言えます。

2、 基盤は地域の闘いに存在した

  80年代、日本の財界、大金業はバブル経済破綻、国際経済摩擦、急激な円高を口実に国内事業所の縮小、再編と生産拠点の海外転換などの構造転換を促進して産業を空洞化させ地域の経済や雇用に深刻な打撃を与えていました。1987年10月に東灘、灘、旧葦合地域の労働組合、民主団体の共同による「円高・産業空洞化反対、雇用と営業、地域経済を守る東神戸共闘」が結成され、神鋼、川鉄葺合、ナブコなど大企業の工場閉鎖、人減らし、転籍出向など実質的な首切りに反対し、工場門前、ターミナル宣伝、大企業包囲デモ・集会、代表による会社との要請交渉シンポジューム、市場・商店街での暮らしと営業アンケートなどの活動が取り組まれ、大企業労働者の闘いを激励すると共に、地域の中小業者からも熱い期待が寄せられました。この「東神戸共闘」に加盟していた東灘地区労、灘区労協、中央区労協、灘民商、東灘民商などの組織やそのメンバーが兵庫労連と連携しながら「神鋼争議支援共闘」の結成準備に参画していきました。

3、強力な役員体制で結成され闘いの方針も明確に

  1992年5月29日の夜、御影公会堂で「神戸製鋼賃金差別撤廃闘争支援共闘会議」の結成総会が聞かれました。神鋼争議は会社の憲法違反・人権侵害の労務政策に立ち向かう人間の尊厳をかけた闘いであること。また、賃金差別、権利侵害をやめさせる闘いを通じ大企業の横暴を規制し、神鋼に働く全ての労働者の生活と権利、雇用と安全を守る闘いであることを明らかにして、争議勝利の一点で粘り強い運動構築を確認し合いました。

  そして、争議勝利への道筋として@職場からの闘いの強化〈労働者の要求を握って放さない〉A地域の団結と共同の強化〈世論の力で会社を社会的に包囲〉白地労委闘争の強化〈原告・弁護士団・支援共闘の一体化〉3つの分野の闘いの重要性を運動の出発点として明らかにしました。そして、議長他の役員体制も決定されました。支援共闘の役員会では、原告団からの作戦・行動計画案の提起をたえず積極的こ受けとめ具体化をはかってきました。原告団・支援共闘が一体になった特徴的な取り組みでは、(1)団体署名7000団体超、個人署名36000筆超、(2)地労委審問70回、審問日宣伝行動8回、(3)神鋼本社要請交渉41回、(4)メインバンクの要請40回、(5)役員宅要請王道3回、(6株主総会会場前宣伝行動8回、(7)ラグビー会場宣伝行動(神戸・東京)4回、(8)川鉄・神鋼総行動2回、(9)神鋼本社抗議行動12回があります。多様な行動を展開しましたが、以下典型的で効果的な運動のみを簡略に報告しておきます。

4、本社前抗議宣伝行動

    全国支援の仲間とシュプレヒコール

  神鋼争議として、神鋼神戸本社への要請は解決まで41回の要請行動を行った。しかし、当初、支援共闘会議、地域総行動実行委員会、全県争議支援総行動時の要請行動では本社前での抗議宣伝行動は行っていなかった。1997年3月29日「神鋼総行動」第1回学習会以降、この学習会と原告団、支援共闘会議、6・20実行委員会、5・29実行委員会の確認にもとづき神鋼神戸本社前抗議宣伝行動を実行した。2000年11月10日、第10回の神鋼包囲総行動は、岩屋公園で2500人大集会後、神鋼本社へデモ行進。2500人で本社を二重、三重に包囲、抗議のシュプレヒコールは神鋼をして震撼とさせる一大行動であった。

5、本社要請行動

    抗議署名の積み上げは大きな威力

  神鋼争議は9年2ヵ月の長い闘いでした。その問に支援共闘会議を中心に神鋼本社との要請交渉は41回に及び、神鋼の代表取締役社長は亀高素吉氏、熊本昌弘氏、水越浩士氏と3代替わりました。支援側の交渉団は5名の人数制約があったため、通常は支援共闘会議から2〜3名、原告団より1名、他に兵庫労連、中央区労協、東灘地区労の各代表が交互に入り構成されました。要請交渉は多くの場合、総行動の一環として行われました。要請交渉では交渉団の代表が社長宛の要請書を提出し趣旨と要求事項を説明して、会社の見解(前回の分)を求めながら争議解決・要求実現を迫りました。また、争議の中盤以降は全県・全国から寄せられた団体・個人署名の累積数を示しながらテーブルの上に署名の束をドント積み上げ交渉が進められました。広範な労働者・市民から会社の不当性に対する抗議を争議の早期解決への熱い思いが託された署名数の増大は目に見えぬ大きな威力たなり、会社に運動と支援の大きな広まりを示す圧力となりました。代表団が署名の扱いを追及すると、交渉相手は「重く受けとめ、必ず上層部に届ける」と毎回約束させました。

  要請交渉の中心点は活動家が職場組合員の要求・要望にもとづいて行った自主的職場活動、正当な組合運動を嫌悪、敵視し不当なみせしめの賃金差別、さらには人間の尊厳を傷つける人権侵害の行為が30年以上に及んだこと、この憲法違反の企業犯罪を深く反省し、異常事態を早期に解消するため、3つの争議を一括・全面自主解決するための、責任ある代表が交渉のテーブルにつき、真摯な努力をすることを求めるものでした。これに対して会社側の答弁は「差別はしていない。地労委に託された以上、その決定を待ち、結果は尊重する」と言う不遜で無責任な態度に終始しました。

 交渉団は交渉の度毎に労働者犠牲の人減らし、転籍、賃金削減などのリストラ計画の強行が労働者・国民の生活不安と消費購買力を低下させ、地域経済に深刻な影響を及ぼしている事情を厳しく批判し、神鋼と関連企業の全ての労働者の雇用、生活、生命、安全、健康を守るため大企業としての社会的責任を果たすことを強く求め続けました。しかし会社は、兵庫地労委の結審を前に、一方的に「交渉打ち切り、折衝窓口閉鎖」を通告し、一時窓口閉鎖の時期もありました。本社を2500人で包囲した、11・10総行動では、一転して交渉拒否から、交渉団枠を10名へと拡大、その後の事前折衝も容易となり、交渉の主導権を原告・支援の側が握り、神鋼を自主交渉のテーブルへ着かせるレールを敷きました。

6、ラグビー宣伝   創意工夫ビラで社会的包囲

  最初、支援共闘会議の一部にラグビー試合会場前で神鋼の争議についてのビラ、横断幕、ノボリ旗、ゼッケンとマイクでの宣伝行動について、観戦者の反感をかうのではないかとの心配から反対の声がありました。原告団では真剣な討議を行い、原告団の総意によって・ラグビー宣伝を実行しました。第一回は、神戸の総合運動スタジアムで神鋼・トヨタ戦でした。ビラに工夫をこらし、表は「ラグビー観戦者の皆さん、神鋼チームに熱いご声援を!!」から始まって「神戸製鋼の賃金差別事件の早期解決にご理解ご支援を」。裏は「ルール大幅改正、ラグビーどう変わる」と主なルール改正の解説のビラで大変好評で、宣伝は成功しました。3回目からは、支援共闘会議の強力なバックアップがありました。東京の国立競技場でラグビー日本一をかけ、社会人と学生チャンピオンが激突する、6万人の慣習にビラを配布し、ノボリ旗、横断幕、ゼッケン、2台の宣伝カーで3つの入り口で宣伝を成功させました。
 事前オルグをし、同じ鉄鋼で神奈川のNKKの仲間に依拠し、石川島播磨争議団、東京争議団に結集する争議団、差別連、トーアスチールをはじめ、多くの皆さんの支援があったからです。国立競技場へはバスを仕立て、4回実施し成功させました。ラグビーは会社の”広告塔”でしたが、争議団も活用し、神戸製鋼、地方労働委員会、裁判所を全国的に注視させ、団体署名・個人署名等をもって社会的に包囲する運動に、ラグビー宣伝は有効な役割を果たしました。

7、 株主総会包囲行動

   株主総会会場前宣伝

(1)宣伝行動開始のキッカケ

  一部上場の企業の条件、その一つに「紛争のないこと」がある。しかし、兵庫を代表する大企業神戸製鋼では戦後半世紀労働組合への支配介入、より搾取を強化するために、まともな組合運動活動家への見せしめ賃金差別攻撃が行われている。この実態を株主のみなさんにも直接、訴え争議を一日も早く解決しよう。と原告団支援共闘会議で検討、確認して、この行動は展開された。

(2)阪神・淡路大震災前の株主総会会場前宣伝行動

  93年度の株主総会は震災で倒壊する前の神鋼健保組合大ホールであった。この旧本社前の株主総会会場前で 灘民商の宣伝力ーによる訴えと「神戸製鋼は賃金差別やめよ」の横断幕「神戸製鋼の賃金差別は企業犯罪」と書いた「ノボリ」を林立させて、株主総会参加者と通行中の市民のみなさんへのビラを配布しての宣伝行動を展開した。この宣伝行動には会社も「ビックリ」。会社保安・職制を急進動員して警備を強化、原告団・支援共闘会議側との緊迫した対峙が続いた。掲げた宣伝要求項目は、争議解決・職場要求・地域経済を守れを結合した。翌年の特徴は、葦合警察がパトカーと警察官数十名を配置、道路交通法を口実とした、宣伝行動への徹底した妨害を行ってきましあた。地労委へ提訴2年後、警察権力の不当介入を行使させた、効果的な宣伝行動となりました。

(3)神鋼株主総会会場内での発言

  株主総会会湯前での宣伝行動は、1993年以降旺盛に続けられたが、株主として直接経営陣に対し、経営姿勢を正し、神鋼における3つの争議を企業的犯罪として告発し解決を迫る取組みが弱かった。1992〜1995年までは、争議団員株主は、わずか1名、1996年、1997年は2名となって入場したが発言の機会を失したそれは、会場に入ると争議団株主1名につき管理職2名が待ち構え、飲み物の接待、その後着席すると両側にぴったり粘り付き挙手、発言を警戒。議事が進み「質議応答に入ります」との司会者の声に全管理職が間髪入れず一斉に「異議なし!議事進行!」の大合唱、総会数日前から総合事務所屋上で発声練習させられていたもの。あっという間の出来ごとでした。

  不発に終わって、その後の争議団会議で総会の雰囲気、議事の進め方を分析し今後の対策を練り上げた。そして1998年は大合唱の渦に負けないよう資金を投入し、10名の株主がつくられた。しかし、神鋼争議を一般株主に知られたくない会社が、挙手したからといって指名するとは限らない。議案書を振り回すなどし、大声で”意義あり”と叫ぶなど目立つ創意が発揮され、「神鋼石炭火力発電所公害反対」「争議解決せよ、地域経済・環境を守れ」等、会社のアキレス腱を突く内容で、毎年会場内で2〜3名が発言の機会をえました。

8、役員宅要請行動

   心良く聞いてくれた役員家族も

  争議解決を求める役員宅要請行動は神鋼の原告団にとって提訴前からの運動方針の重要な柱のひとつに位置づけていた。原告団がこの行動を支援共闘会議で提案した時、会社でない役員の自宅、加害者ではない役員の家族にまで「迷惑」をかけることは争議解決運動の「大義」から外れているのではないか。と言う異論もあった。しかし、原告団は30年以上本人の差別のみでなく家族もその被害者であり原告側は「差別という土足で家の中まで踏み込まれている。したがって、正々堂々と役員本人とその家族にも「率直」に訴えようと原告団、支援共闘会議で確認し実行した。本人不在で奥さんが対応したところでは、「迷惑とは受け止めず、快く聞いてくれた」等の報告があがっている。社長宅では、直接本人と面談する事ができ、争議解決に向けての要請や内容など、約1時間話し合った。

X、     解決内容

     勝利をともに喜んでくれた職場労働者
  「君らは会社に勝つたんだ。すごい‐おめでとう」始業ミーティングでも労働者勝利の話題で持ち切りとなり、定年退職者の送別会で「報告」を求められた原告が職場の仲間の支援に心からのお礼を述べたとき、期せずして大きな拍手が沸き起こりました。9年2ヵ月に及んだ神鋼の賃金差別争議は6月26日、兵庫県地方労働委員会において出向裁判2件とともに、3つの争議を一括全面解決する和解協定が調印されたのです。

和解協定の骨子は次の通り

1、 会社は憲法・労働諸法規、及び企業倫理綱領に則って申立人らを含む従業員の労務管理を行い、労働条件の改善に取り組む。

2、 会社は申立人らに対し解決金を支払う。

3、会社は、基本的人権を尊重するとともに、在籍従業員を他の従業員と同様に公正、公平に評価、処遇することをを約束する。

   というものでした。


                      発 刊 に あ た っ て

               元日本鋼管人権裁判原告団      元神奈川争議団共闘会議副議長
               元東電争議神奈川支援する会事務局長   NKK権利闘争すすめる会

                                           篠 崎 節 男

 神鋼争議三つの争議全面勝利解決おめでとうございます。
人間の尊厳をかけて9年2ケ月必死に又果敢に闘い、21世紀の幕開けの年に”鉄の扉をひらいた男たち”に、同じ鉄鋼に働き闘う仲間として、心より祝福したいと思います。

  私と神鋼差別争議の原告団との関わりは、1990年10月に熱海で行なわれた、職自連全国交流集会から始まり、ちょうど11年になります。初め私が参加する予定ではなかったのですが「神戸製鋼の労働者が裁判を始めたいので詳しい人に話を聞きたい」との要請で、急遽前日になって私も行くことになりました。神鋼からは、堂薗氏と渋田氏が参加しており、三人で夜を撤して職場問題や裁判について話し合った事を、今でも鮮明に記憶して居ります。二人の態度は真剣そのものでした。そして正式に私が鋼管の窓口として対応することになり、争議の立ち上げから、重要な局面では講師に招かれ学習会を行い、泊り込みで深夜まで作戦会議と交流を行なってきました。原告団とは以来11年間争議を通じて寝食を共にし、ともに考え闘い人間的な信頼関係を築き親交を深めてきました。併せて原告団の団結も強化されました。

  神鋼の争議は当初裁判所への提訴を前提に準備が進められていました。当時差別争議に関わる全国の裁判官を集めて最高裁の裁判官会同が行なわれ、原告側に「立証責任論」が課され、司法の反動化が進行し強化された情況にありました。裁判で原告勝利の判決を展望するには非常に困難な情勢であり、それを裏付けるように前年には、全税関神戸で反動不当判決が出され、こうした背景のなかで神鋼原告団は、「熱海の夜」の出合いから一年半後に地労委への申し立てに踏み切ったのでした。

  神鋼争議団の闘いの特徴

 地労委申し立て当初から一貫して”大衆的裁判(地労委)闘争”を貫いたところにあると思います。差別の闘いは労働運動の分野ですから、@職場を基礎に要求実現の闘いを強化、A法廷(地労委)闘争の重視、B特に会社と地労委を社会的に包囲する運動を強め、兵庫県下は勿論全国の労働組合と民主勢力に訴え運動を大きく拡げたところに、勝利解決の大きな要因があったと言えます。そして、自分たちの頭で創造的に物事を考え、自主的主体的に運動を構築し、合法的なあらゆる作戦を次々とあみ出しては提起し、躊躇なく実践して会社の嫌がる弱点をあらゆる角度から攻めたのも有効な闘いでした。地域要求と結合し、要求で広く結集して闘いながらそこに埋没する事なく、自らの獲得目標である「差別争議で勝利する」事を明確にして、不屈に闘いぬきました。

 全国をオルグし、7,000以上の団体署名・36,000筆に近い個人署名を積み上げた地労委への要請行動は、「下手な命令は出せない」と地労委を緊張させ、おそらく蓋を開ければ原告勝利の素晴らしい内容の命令書であったと確信しています。その事が「差別はしていない」と平然とうそぶく会社を動かす、大きな圧力になったことは間違いありません。神鋼本社を包囲する行動は益々大きく拡がり、自ら解決交渉のテーブルを開かせるまで会社を追い詰める力になりました。そして、単独の闘いでは解決困難な出向裁判を併せ、同時全面勝利解決を勝ち取った意義は大きいと思います。

  総括集を編纂するにあたって、私が幾つかの争議の総括に関わった経験から、深く討議し総括してもそ中身の全てを活字として残すことには制約があります。実は、そこが総括の最も重要な部分でもある訳ですが・・・
  一つには、会社との約束で信義上発表できない内容も有るということ
もう一つは、陣営内部の問題です。これから共に闘っていく仲間としの配慮からです。
  神鋼争議団は、兵庫の地で素晴らしい闘いを構築し、”正しく闘えば必ず勝利する”という一つの典型をつくり、人間の尊厳を守る貴重な成果をあげました。深く総括して教訓を引き出し、後に続く闘いに展望を与えると共に、反合権利闘争の前進に役立つことを願ってやみません。
                        

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