ボランティア

17、NKK京浜労組役選介入・不当労働行為事件の闘い

    (1992年10月8日〜2001年7月25日  9年)


NKKの役選干渉・介入と労組の労資協調主義

高炉風景
  1966年、NKKは「新社員制度」という能力主義管理を導入。同時に共産党員活動家に対する見せしめ差別があからさまに行われるようになりました。この年、鉄鋼各社が次つぎと新製鉄所を建設する無政府的競争が進行する中、NKKは世界最強といわれる福山製鉄所を稼動。そしてこの年、鉄鋼労連がIMF・JCに加盟し、反共労資協調主義の旗をかかげました。組合役員選挙規定は毎回のように改悪され、選挙運動を極端に制限し、「定数連記制」で少数派を締め出し、開票立会を認めず「密室開票・密室集計」がおこなわれ、得票の改ざんまでされていたという秘密情報も聞かれました。会社の役選への介入も常態化していました。

  1968年、京浜地区の三製鉄所が統合して「京浜製鉄所」がスタート、扇島建設計画が始動しました。これと連動して会社は、労働者への犠牲転嫁を抵抗なく受け入れる[労組づくり]をすすめました。そして、その核となる反共インフォーマル組織「京浜労働創友会」が労務部の肝いりでつくられました。鉄鋼の職場に、労働者の利益を守るまともな労働組合をつくる上で大きな障害となっていたのは、会社の役選をはじめとする労働組合への支配介入と役選規定に象徴される労働組合の非民主的な運営、活動家にたいする見せしめ差別でした。

  1972年、不況・減産カルテルを受けて京浜製鉄所は6,000人削減につながる2,236人の削減を提案、強行しました。この「合理化」で技能系女子全員が解雇され、松島智恵子さんの解雇撤回闘争が起こりました。同時に、激しさを加えていた民主的組合活動家に対する思想差別撤廃をめざして日本鋼管人権裁判が開始されました。松島闘争は13年、人権裁判は15年の闘争で、支援を全国に広げ勝利的に解決しました。 1988年、人権裁判の解決後「NKK権利闘争すすめる会」(以後「すすすめる会」)が結成されました。すすめる会はその後、門前からの大量宣伝を武器に要求実現と権利闘争の先頭に立って闘かってきました。

 争議の経過

  NKKは長年にわたって労働組合役選に直接介入・干渉を続け、会社の意に沿う労働組合づくりをめざしてきました。会社の介入の事実をこれまでも多く把握していましたが、物証・人証を整えて第三者機関に訴えることはできませんでした。1992年の第12期役選でNKK権利闘争すすめる会の会員が会社の介入を明瞭に示す文書を発見しました。会社に抗議し謝罪を要求しましたが、会社は、[調査したが、そうした事実はない]という回答。労働組合にも事実の確認と会社への抗議を要請しましたが、組合は、「本人を呼んで調査したが、本人の書き間違いであった」というまったく信用のできない回答でした。すすめる会は、このまま放置することは絶対にできないと判断し、会社の介入の排除と再発防止、謝罪を求めて、1992年10月8日に神奈川県地方労働委員会に対し当該職場組合員及び本部役選立候補者ら19名で救済申立てをしました。

  争議は、1992年の地労委の闘争から始まって、行政訴訟の地裁・高裁を経て、2000年3月の最高裁まで8年間の法廷闘争と最高裁後も1年半、職場・地域をむすんだ運動を展開しました。その結果、会社との自主交渉で合意に達し、別紙の「確認書」に調印して全面解決に至りました。

1、法廷闘争

@ 神奈川地労委(1992年10月8日〜1994年4月27日)地労委は、2回の調査と10回の審問で結審。 1994年4月27日、申立てを棄却しました。命令は、会社の関与を認めながら、「関与は『人事調整』のためのもので、不当労働行為ではない]とし、申立てを不当にも棄却しました。この「人事調整」なるものは、会社側さえ主張も立証もしていないもので、地労委のまったくのデッチあげでした。このような命令は、のちに地労委の事務局員も「意外な結果だった」とコメントしたよ引こ、だれも予測しなかったものでした。しかし、連合の有力単組である京浜労組の事件は鉄鋼労連から連合までの正当性が問われる重大問題になります。地労委の判定は極めて政治的なものでした。

A 横浜地裁(1994年7月22日〜1998年4月28日)中立入団は、中央労働委員会に、再審査請求を行いつつ、地労委命令の取消しを求める行政訴訟を横浜地裁に起こしました。横浜地裁は原告請求の柏木氏(柏木文書の作成者)の証人採用をかたくなに拒否しましたが、1982年エネルギーセンターの役選介入事件関連で小林元作業長に対する尋問を6回行いました。そして17回の期日で結審。原告団は全国にオルグを展開し、わずかな期間に10万8千人の「公正判決要請署名」を裁判所に集中しました。しかし1998年4月28日に出された判決は、原告の訴えを棄却する不当判決でした。

  横浜地裁判決は、@事実が明確な支配介入事件で詳細な立証を労働者側に求めた違法性A会社の「関与」を認定しながら「関与あれど介入なし」という矛盾する判断 B1982年役員選挙での支配介入の認定をエネルギーセンターに限定し、支配介入の継続性を証明する証拠を採用せず重大な事実誤認をしています。しかし、第12期役選で会社職制の関与自体を認め、1982年の役選では会社が京浜製鉄の労務管理の最高責任者(当時地労委使用者側委員)らの督励で職制機構を使って介入・干渉を行った事実を、労組法第7条3号違反(支配介入)と認定したことは、その後の闘いに新たな展望を切り開くテコとなりました。

B 東京高裁(1998年5月11日〜1999年11月16日)東京高裁でのだたかいは、地裁判決の前進面をさらに発展させつつ、訴えの第12期役選での支配介入を認定させ、勝利することが求められました。しかし東京高裁は、1999年11月16日に「控訴棄却」の反動的な判決を出しました。判決は控訴人の詳細な立証と、地労委や地裁の事実認定さえも無視して柏木氏の「労担班長が候補者選定の四者に入っているというのは、書き間違いであった」という話を認定し、会社は役選に関与していない、と開き直りました。この判決は、新民事訴訟法(1999年4月より)を悪用して法解釈をさけ、「事実認定」で原告の訴えを切り捨て、上告の道まで事実上断つという、二重三重に悪質な大企業擁護の不当な判決でした。

C 最高裁(1999年11月29日〜2000年3月24日)新民事訴訟法のもとで、最高裁でのだたかいはきわめて困難が予測できる(門前払い)が、すべての可能性をくみつくす立場から、原告団、弁護団、対策会議が団結して風穴をあけるために運動を強めることとし、上告しました。そして最高裁宣伝要請行動を3回行い、あわせて司法制度改革審議会に対しても裁判の実態を訴え、裁判官の独立、司法の民主化を訴えました。しかし最高裁第一小法廷は事実認定はしないという立場から法律判断までも避けて「上告を棄却する」という決定を出しました。

2、職場闘争

 この問NKKは、「タブーなきリストラ」などと称して、8000人削減を柱とする過酷なリストラを強行してきました。「京浜製鉄所の存続」が重大な問題として投げかけられ、「京浜製鉄所の存続」のためには、相当の犠牲もやむを得ないという思想攻撃の中、「分社化」、外注化、55才以上の出向者の「転籍」などが次つぎと強行されました。組合が「経営基盤の確立のために」としてリストラ協力の方針をとっているために、人減らしは容赦なく強行され、会社の支配介入のない、組合員の利益を守る組合が切実に求められている状況下で、すすめる会・原告団は、争議の解決をはかる課題と固く結んでリストラ反対闘争を取り組み、労働者の共感を得ました。リストラに反対して雇用と労働条件を守るたたかいを励ます門前ビラと争議解決を訴えるビラの配布は、この問200回を超えています。原告団を中心にNKK権利闘争すすめる会の会員は、第13期役選以降も引き続き組合役選に積極的に立候補しながら、会社の支配介入を排除するたたかいをすすめ、同時に、組合役選の民主化を求めて精力的に取り組んできました。

3、社会的包囲の闘争

@ NKK権利闘争すすめる会の結成以来一貫して取り 続けてきた全労連運動との連帯を柱に、金属反合闘 争委員会、神奈川労連、争議団共闘会議、地労委民主化対策会議と共同を追求しつつ、運動を全国的に展開してきました。

A NKK関連争議(東北造船、清水、鶴見中高年差別)については、連絡会を結成し、連携を強め、全国事 業所・背景資本・要請行動をはじめ、共同行動を展 開しました。

B NKK本社、京浜製鉄、背景資本(第一生命、富士 銀行〈後にみずほグループ〉)に対して、争議発生以降一貫して抗議・要請行動を展開してきました。金属反合共同行動をはじめ、全労連総行動、神奈川争議団東京行動、NKK関連争議共同行動、独自行動など、その数は100回を超えています。

C 地労委・裁判所での重要局面でのたたかい
 審間日の各駅頭宣伝、重要局面(証人採用問題、結審以降、判決剛での県下主要駅頭宣伝行動をばしめ、団体署名・個人署名の取り組みと合わせ第三者機関への要請行動を展開しました。また、このたたかいと合わせ地労委民主化闘争にも積極的に取り組みました。

D 株主総会での発言と宣伝行動
 NKK関連争議連絡会の重要な運動として取り組んだ株主総会への宣伝と行動は、争議発生以来一貫して取り組み、会社トップをゆさぶりました。

E 法廷、職場、社会的包囲の3分野の運動は、一部不十分さを残しつつも、基本的にはやり遂げることができたと確信しています。

4、自主交渉の進展について

 NKK会社側の「最高裁の決定により、法的には決着済み」という基本的態度を改めさせ、争議を全面的に解決するためには、運動の新たな飛躍を土台にして、自主交渉の場での理論構築と特段の交渉能力が要求されたと言えます。私たちは、@法廷闘争の到達点を握って離さず、A職場実態からNKKの遅れた企業体質を浮き彫りし、大企業が社会的ルールを守ることの重要性を、説得力をもって鋭く追求し、突破口を切り開いてきました。そして、「労働者の団結権と要求実現に貢献する解決」することに力を尽くしました。

5、対策会議のとりくみと果たした役割

 横浜地裁判決を前にして、支援共闘会議の結成をめざす相談会をひらき、結成の準備と当面の運動について協議しました。そして第3回相談会(1997年12月10日)で、「NKK京浜労組役選介入事件対策会議」が発足しました。以降、事務局体制も強化して、第41回幹事会(2001年9月16日)まで、基本的に月1回の幹事会を開催して運動の推進をはかってきました。そして以下の主な取組みを成功させました。

1 横浜地裁への要請行動36回、高裁への要請行動22回、要請行動に合わせた駅頭宣伝。
2 署名では、地裁への「公正判決要請」個人署名が集約で12万筆、高裁への「公正判決要請」団体署名を集約で5,000団体。
3 地裁判決日行動(1998年4月28日)のべ635名。
4 高裁結審目行動(1999年7月1日)100名。
5 高裁判決日行動(1999年11月16日)215名。
6 金属反合共同行動(1999年9月28日)の昼のメイン行動330名
7 神奈川県下の主要駅頭宣伝は地労委民主化対策会議と共同で4回取組みました。
8 NKK役員宅や背景資本への要請行動の展開。

全面解決でかちとった背景とその要因・教訓

     <5つの大きな成果>

@ 会社が、京浜労組への介入はもとより、京浜製鉄の労働組合運動にかかわる様々な組織に便宜供与したり敵視行為をすることは、不当労働行為をなすものであって、「絶対にあってはならない」とあらためて宣誓したこと

A 京浜製鉄における労働組合運動の今後の健全な発展の土台を担保したこと

B 憲法と労働組合法に定められた労働者の団結権にかかわるルールを守ることを会社があらためて約束したことは、当然のこととはいえ、大企業が社会的責任を果たす上できわめて重要であること

C 会社に、京浜製鉄における労働組合運動の潮流としてNKK権利闘争すすめる会をあらためて認めさせ、不当労働行為の再発防止のための窓口の設置を実現したこと

D 解決金を支払わせたこと

    <成果をかちとった要因と教訓は>

@ この闘争は、企業に最低限の社会的ルールを守らせて労働組合の健全な発展の土台を保障するという、大義と道理あるものであったこと

A NKK権利闘争すすめる会が、組合役選の民主化と会社の介入・干渉を許さないことなど、労働者の権利を守る立場で日常的に職場で奮闘していたこと

B 法廷闘争、職場、社会的に包囲するたたかいの3つの分野で統一的、相乗的に運動をすすめたこと、とりわけ、原告団が弁護団と力を合わせて正確な法廷闘争をおこないつつ、1997年の対策会議結成によって知恵と力を結集し争議支援の輪を大きく広げ、相手にふさわしいたたかいを展開してきたこと

C この闘争は、不当労働行為を許さないたたかいでしたが、同時に、連合労働運動の拠点職場で「選出」された労働組合役員の正当性を正面から問うものであり、その上部団体役員の正当性にも連動するものです。しかも、多くの大企業職場で同じような実態が指摘されていることからも、いわば日本資本主義の支配体制の根幹に迫る性格をもった重大なたたかいでした。地労委の棄却命令でいっそうそのことを思い知り、このすぐれて階級的なたたかいにふさわしい構えと体制をつくりきることを、その後一貫して追求してきました。

D 不当決定(敗訴)の確定は、全面解決をはかる上で大きな障害となりましたが、知恵を集めて正しく不屈にたたかえば必ず争議は解決できることを事実で示せたこと

E 労働争議は当事者間の話し合いで早期円満に解決することが基本、という立場を一貫して堅持し、全面解決に結実したこと

F 背景にあった要素として、NKKと川鉄の経営統合が2002年10月に予定され、NKKの経営者がその前にこの争議を含めてNKKの3争議を解決したいと考えたことは明瞭で、これを重要なチャンスとして位置づけ、攻勢的にしっかりと活用したこと

     <成果を生かし要求を実現できる労働組合を>

 リストラ攻撃が荒れ狂ういま、労働組合を階級的民主的に強化することが本当に切実に求められています。そのうえで、切実な要求での一致を大切にし、職場から大きく共同をすすめながら、同時に、組合役選を軸に労働組合を強くすることに取り組むことが必要です。この争議解決の貴重な成果をいかし、京浜製鉄の労働組合の階級的民主的強化を図るために全力を尽くすことが求められています。このことは、同じような実態にある全国の大企業職場での労働組合運動を強めることを願う労働者を大いに励ますことになると確信します。



         NKK京浜労組役選介入事件全面解決にあたっての声明

                                 2001年9月16日

                            NKK京浜労組役選介入事件対策会議
                            NKK京浜労組役選介入事件弁護団
                           NKK京浜労組役選介入事件原告団
                           NKK権利闘争すすめる会

 NKK京浜労組役選介入事件は、2001年7月25日に当事者間の話し合いで合意に達し、全面解決しました。1992年事件発生以降、九年余の長い間、本争議の勝利をめざして支援と激励をよせていただいた全国の皆さんに心からお礼を申し上げます。
【合意内容】
  これまでの経過を踏まえ、長期にわたった紛争を解決し、今後より良好な労使関係の構築に資するため、以下の三点を確認しました。

1.会社と交渉団とは、過去、見解の相違から不当労働行為に関して紛争が起こり、それが長期に及んだことは誠に残念であったと認識している。

2.会社と交渉団とは、健全な労使関係の維持発展を強く望んでおり、会社が不当労働行為にかかわることはない。

3.会社は健全な労使関係の重要性や不当労働行為の違法性については十分に認識しており、今後とも従業員に対する周知徹底を図っていく。

  NKK京浜労組役選介入事件は、京浜労組の92年役員選挙でNKK権利闘争すすめる会が、京浜労働創友会(=反共インフォーマル組織)と会社職制が役員候補者を選考したと記された文書を発見し、不当労働行為(支配介入)として神奈川地労委に申し立てました。地労委は、会社の関与は認めたものの、不当労働行為を認定しなかったので、原告団は行政訴訟をおこしました。

  横浜地裁は、82年の役選介入事件(訴外)にっいては労務部長以下の不当労働行為を認定しましたが、92年の役選にっいては会社の介入事実をにじませつつ、立証不十分として原告の訴えを棄却しました。神奈川地労委の不当な「棄却命令」をはじめ、最高裁の「受理せず」という決定に至るまで、この闘いは極めて困難できびしい面がありました。しかし、これらの困難をのりこえ、今回会社と合意した内容は、今後の京浜製鉄の労働組合運動をすすめる上でも、日本の労働運動の発展にとっても大きな意義をもっものと確信します。

 合意の内容は、

  第一に、会社が京浜労組そのものへの介入はもとより、京浜製鉄の組合運動にかかわる様ざまな組織に対して、便宜供与したり、敵視行為をすることは不当労働行為をなすものであり、「絶対にあってはならない」とあらためて宣誓したことです。このことは今後、「会社が労使協調の組合や反共インフォーマル組織に関与育成するのはあたりまえ」という職場のゆがんだ「常識」をただし、今後労働者の団結と要求実現など職場闘争を発展させる上で重要な一歩を切り開いたものです。

  第二に、「国家的」リストラが強行され、日本の大企業職場の労働運動の「あり方」が社会的に問われている今日、京浜製鉄における労働組合運動の健全な発展の土台を担保したことは、神奈川をはじめ全国の労働組合運動の発展、とりわけ大企業職場の労働運動の発展に寄与することができると考えます。

  第三に、会社が、現代社会における労使関係のあり方、憲法と労働組合法に明記されている労働者の団結権にかかわるルールを守るとあらためて約束したことは、大企業として当然の社会的責任を果たすものであり、それはまた、企業として健全な発展を保障する上でも重要な意義をもっものとなりました。
 今回の全面解決を果たすことができた大きな要因は、京浜製鉄所の職場実態と労働者の要求に立脚し、企業に社会的責任を果たさせる大義ある闘いであったこと、労働争議は当事者間の話し合いで早期円満に解決する立場を一貫して堅持したこと、対策会議、弁護団、原告団、NKK権利闘争すすめる会の固い団結のもと、全労連運動との連帯、進歩と革新をめざす広範な人びととの共同のうえに、創意に満ちた多面的なねばり強い運動をつくりだすことができた結果だと確信しています。

 2002年10月の川鉄との経営統合を前に、NKKの職場では新たなリストラと労働条件切り下げの攻撃が行われています。私たちは、今回の合意内容を大きなステップにして労働者の権利を守る闘いを一層前進させる決意です。
 本争議に対し、共に闘い、支援と激励をよせていただいた全国の皆さんに、重ねて感謝申し上げます。
                          以 上




17-(2)、添付資料==NKK京浜労組役選全般に於ける労使一体の実態==

              = 連 合 の 本 質 =

          ・・・組合役員選挙民主化闘争の経過から・・・


(添付資料であり、関心のない人は読まずに飛ばしてください。ただ、大企業の連合組合は全て共通しており、前記の通り経営側が認め、謝罪している事実を認識してください。以下の内容は、私が原告から聞き取り調査及び書面での提出を求め、弁護士が類型別に整理したものです。民主党のマニュフェスト放棄、消費税率増税、選挙での衰退の根源と本質が明らかになるのでは)


 NKK京浜労組の役員選挙では、考えられないような種々の不当な制限がある。即ち、会社の育成する「創友会」系の人物が執行部を独占する中で制定された現在の役員選挙規定は、役選での自らの候補者の当選を確保する意図のもとに、候補者及びその支持者の選挙活動を極端に制限し、投票の秘密が守られず候補者の指名する者の開票立会い、参観さえも認められていない。そこで、1988年の第10期役員選挙に際して、投票の秘密の確保・開票の立会い・被選挙権の不当な制限の撤廃を求め、労組を債務者として横浜地裁川崎支部に仮処分申請を行った。


            仮処分申請書

                                      1988(S63)年7月4日

労働組合役員選挙禁止仮処分申請事件

         
                       申  請  の  趣  旨

債務者は、
1、投票の秘密が厳格に確保しうるように、投票記入場所を設置し、そこに、三方を囲み、他から記入内容を見ることができない構造の衝立を設置して、投票記入は、この投票記入場所で行なうこととする。

2、開票に際して、投票全数の把握、有効無効の判定及び開票の正確を期するために、立候補者又はその指定する組合員の立会いを認めること。

3、大会代議員の被選挙権につき、支部委員に限るとの制限を撤廃すること、との各是正措置をとらずに、第10期組合役員選挙、大会代議員及び中央委員選挙、支部役員選挙を実施してはならない。



                   申  請  の  理  由

   当事者
 債務者は、申請外日本鋼管株式会杜京浜製鉄所(以下会社という)の従業員及び駐在する本社従業員等をもって構成される労働組合(組合員約一万名)であり、主たる事務所を肩書地に有している。
 債権者らは、いずれも債務者の組合員で、労働組合の会社からの真の独立と、その民主主義的運営を一貫して求めてきたものであり、債務者の第10期組合役員選挙、大会代議員及び中央委員選挙、支部役員選挙について、別紙立候補予定一覧表の通りに(12名)、立候補を予定している者である。


                    仮 処 分 決 定 書

                                    1988(S63)年7月19日

                       主     文

1、債務者は、本部選挙管理委員会をして、その第10期組合役員選挙、大会代議員選挙及び中央委員選挙の実施に際して(ただし、信任投票は除く)、組合員に対して、投票記入行為を投票記入場所で行わしめよ。

   このように、投票を「投票記入場所で行い、投票の秘密を確保せよ」という、一般常識では当然であるが、労組役員選挙においては、貴重な前進が勝ち取られたのである。


一、役員選挙の各段階で行われる会社の不当労働行為の事実(これが連合の実態だ)

 このように、京浜労組が成立する以前から現在に至るまでの30年以上の間、会社との協調路線をとる創友会系候補者と労働者の権利を擁護し労働組合の本来の機能の回復を目指す権利闘争すすめる会との間で熾烈な選挙戦が繰り広げられてきた。選挙の長い歴史上会社は一貫して会社の意のままになる創友会系候補者を当選させ、組合の支配を実現すべく、立候補者の選択から始まって投票用紙の入れ替えに至るまで、選挙過程の全てにおいて干渉・介入を行ってきた。

 会社の介入は不当労働行為として法的に禁止されるため、当然のことであるが、証拠を残さないように細心の注意を払いつつ秘密裏に実施される。会社の介入は職場で働く労働者にこそ公知の事実となっているものの、会社介入を裏づける明白な証拠を発見することは至極困難である。しかしながら、介入の事実を完全に隠し通すことは所詮不可能であり、長い組合選挙の歴史において、K文書のように、偶然会社の介入を裏づける証拠が発見される場合もあり得る。また一見介入とは見えないような事がらでも他の証拠とつき合わせて見ると会社の介入を明白に裏づける証拠となる場合もある。そしてそれらの断片的な証拠を集積し、分析すると会社の組合役員選挙介入の全貌が浮かび上がってくるのである。
 会社の介入は選挙過程全般にわたるが、具体的に列挙すると次の通りとなる。

 (一)立候補者の選考段階における介入
 (二)票読み体制の確立(選挙人名簿の作成)における介入
 (三)票固めにおける介入
 (四)資金援助
 (五)投票、開票における介入

以下30年の間に発見された証拠、事実から、会社の役員選挙介入の全貌を再現する。

(一)、 立候補者の選考段階における会社の介入

1、支部長、副支部長候補等三役の決定に見られる介入

  本件の発端となった1992年4月に発見されたいわゆるKメモには、非組合員で、労務対策を職務とする会社職制である労務担当班長(係長)を交えて第12期支部役員選挙において、製銑支部、コークス支部の三役候補を選考し決定したとの記載があり、会社の介入を裏づけた。立候補者の選考に関して会社が介入したことを示す拠は、1968年の計装整備職場における会社介入を記録したHノート、1970年水江地区レバース工場における会社介入に抗議した証の書類がある。

  これらの証拠をつき合わせると、創友会系の立候補者の決定につき、会社が介入している実態が浮かび上がってくる。30年間、役員選挙においては、会社介入の後押しもあって創友会系の候補者が執行部を独占し続けているが、かかる現状においては、創友会系の立候補者は選挙後当然組合の役員になることが予想されるため、会社は候補者の選考につき重大な関心をよせ候補者選考段階から介入するのである。
   以下、過去の役員選挙に表れた会社の介入の事実を見る。

2、1968年、川崎製鉄計装整備支部の役員選挙

  1968年7月、川崎製鉄計装整備支部において支部三役選挙が実施された。当時創友会は結成されておらず、その前身であり会社協調主義を標榜する「第三グループ」という名称のインフォーマルグループが活動していた。同グループからは支部長候補としてHが立候補したが、Hの立候補は会社の指名に基づくものであった。

  Hは当時組合計装整備支部の支部長であり、インフォーマルでは幹事であり、会社の機構上は工長を補佐するA工の立場にあった。羽柴は当時の選挙戦につき詳細な記練いわゆる「Hノート」を残している。同ノートは後述するように会社側の客観的資料にも合致し信用性の高いものである。Hノートの2月20日欄には、「課長との話合いの嘸で来期の支部長は後一期という話であった。協力をしてもらいたいとのこと。その後、職場に帰りポストを考えるとの事を言っていた。」と記録されているが、このこ とは組合役員人事を職制が牛耳っていたことを示し、かつ、人事部の昇進問題とからめて画策していたことを示す。すなわち会社職制との話し合いで、1968年2月当時支部長であった羽柴について、もう一期支部長をやることの協力要請が課長からあり、その協力の見返として職場に帰った後のポスト(昇進)を約束することが羽柴自身のメモによって 明らかにされているのである。

  当時Hが支部長であったことはHノートの各種記載から明らかである。また地労委で証人にたったMが証言をしている。そしてHは、課長の要請どおり支部長に立候補し当選していることも間違いがない。一方、昭和45年3月30日付け西計装係作業配置一覧表によると、同年4月1日付けで工長に昇進している。そして、記載上の問題だけでなく現にHが工長に昇進している事実はM証言によっても裏づけられている。

3、1970年 水江レバースエ場

  1970年6月、京浜労組が成立した最初の組合役員選挙において、その週が第一直にあたった直の、工長・作業長を集めて係長が実施する会社の似付懇談会で支部長の予定候補者をきめ、リコピーをして各職場の詰め所に掲示した。会社が立候補者の選考につき完全に主導した露骨な不当労働行為である。
  後述するようにその10年後に実施された1982年第7期エネルギーセンターの支 部選挙における会社の介入を詳細に記録したKノートを読むと、水江レバースエ場においてなされたように、労担班長が主催する会社職制機構上の正式な組織である連絡会において支部委員候補が決定したことが記録されている。即ちかかるやり方は、1970年水江レバース工場に引き続いて、1982年、エネルギーセンターの第7期支部選挙においても繰り返されているのであり、会社の役選介入の常套手段であることがわかる。

4、1986年コークス支部

  1986年、第九期役員選挙が実施され、組合コークス支部においても役員選挙が実施された。そしてこのときも会社の主導により三役候補が決められている。即ち当時発行された創友会コークス班のちらしによれば、同班は創友会、作業長会、工長会、職制で構成される役選選考委員会を、1985年12月、86年2月、4月、6月に開いている。職制が通常非組合員のことを指すことは、当時創友会コークス班長であり、前記ちらし作成者であるKも自認するところである。従って当時コークス班においても非組合員である労働関係の職制=労担班長を交えて創友会系のコークス班支部長候補が決められているのである。
  立候補者の決め方であるが、1968年の計装整備支部の例、1982年のエネルギーセンターの例とつき合わせると、役選選考委員会で候補者を決・めるに当っては、労担班 長を通じた会社の意向が主導しているものと推定される。

5、支部委員候補者の決定

  支部では三役以外の職場委員、執行委員も選挙で選ばれるが、前述のSノート、Kノートによれば、会社は右選考についても介入している。
 例えばSノート5月欄には、1968年、川崎製鉄計装整備において実施された役員選挙につき、「次期役員の件、T氏、D氏との第一回この相談をすることにする(考え方のまとめ)。K係長の要請で次期役員の構想を提出する(5月6日)」との記載がある。係長とは事務係長のことをいい、労担班長に当たる。右記載は木島係長の要請で次期組合役員の構想を提出しろということで、Tらと第一回目の相談をすることにしたという意味である。同ノートの6月欄には、Hの方からTを通じて事務係長に来期の役選に関し連絡を依頼している。

 6月15日欄には、「各実行部長の方の連絡をする、次期役員立候補について、各実行部長、代議員立候補を依頼する、全員諒解をしてもらう。会計監査についてはまだ検討していない」との記載がある。実行部長とは支部の執行機関としての労対部長、教宣部長などの専門部の部長をいう。同ノート7月欄には「金田作業長より、職場委員の変更について話しがあり、K係長のところで一笑に付される」との記載がある。以上より、支部長候補以外の役員候補者についても全面的に労担班長の指示のもとに選任されていることが明白である。

6、1982年、第7期エネルギーセンター支部の役員選挙においても
  会社が露骨な介入したことを示す明白な証拠がある。即ち当時エネルギーセンター室で作業長であったK・Sが作成したノートには、57年5月13日に開かれた労担班長も出席した会社連絡会席上で、T作業長が創友会の幹事会の報告を行い、支部の実行部と支部委員の選出を6月1日までに報告することが記録されえいる。連絡会とは現場責任者会議と呼ばれ、労担班長が召集し、労務部員、出勤している作業長全員、そしてエネルギーセンター室長出席する会社職制機構上の正式な会議でありその席上で、創友会系の支部長以外の役員候補者の選任のための会議の内容が逐一報告されているのである。

  Hノートは1968年の計装整備の会社介入の記録であり、Kノートは1982年のエネルギーセンター室での会社介入の記録であり、両者は場所と時期こそ異なるが、会社主導で執行委員、実行部長などの候補者の選考がなされている点で共通しているのであり、同様のことが他の支部でも、他の時期においても繰り返されている事が容易に推定される。

(二)、票読み体制の確立 (名簿の作成)

1、支部長など三役の立候補者が決まると
  立候補者を当選させるべく、選挙運動の準備 にとりかかる。選挙活動において重要なのは票読みである。票読みを能率よくかつ効果的に実行するためには、有権者名簿の作成、各有権者の動向即ち支持と不支持、支持の程度の分析が不可欠である。
  有権者即ち従業員の情報を握っているのは会社、具体的には職制であるが、第7期役員選挙に関する乙七九号証及び第九期役員選挙に関する記載を読むと、職制が票読み用の名簿を作成、票の分析に全面的に協力していることがわかる。

2、1982年 7期 技術研究所

                   1982年、組合技研支部において第7期役員選挙が実施されたが、同年2月、創友会、技研班が作成した「組合役選対策案」を見ると、既に一月に創友会会員名簿と幹事分担表の作成を終了し、2月に組合員全員の名簿作成との記載がありカッコ内 に職制とある。更にその一行下に、「創友会としては会員全体の組合知識を強めるために学習会を開く」との記載がある。これは、役選対策に取り組む上で、全組合員の把握が必要であるが、当時組合技研支部の組合員は800名であり、創友会会員はその内200名弱しか組織していず、創友会単独で組合員全体を把握するのが困難であったため、職制に票読み名簿の作成を依頼したものである。更に、3月の欄には、会員全体の集計(第一回)会員138名、二行目に技研全体の集計(職制)組合員との記載がある。これは2月段階での第一回の票読みを終らせ、会員については創友会が行うが、技研全体のものについては、会員も含めて職制組織が担当するという意味である。以上より、名簿の作成から票の分析まで創友会と職制は役割分担をしていることがわかる。

3、1986年 9期 技術研究所

  1986年、第9期役員選挙が実施された。同年二月に作成された技研役選関係日程表によれば、「一月、名簿作成、1、幹事各会員毎分担表の作成及び各人のチェック、2、職制組織表の作成及び各人のチェック、活動を実施する」との記載がある。
職場組織表の作成及び各人のチェックについて、前記と異なり担当者につき具体的な記載がないが、@前述のように四年前の同じ技研支部の選挙において、名簿作成につき、職制の協力を得ていること、A三月欄には「支部役選に向け協力要請、職制要請」との記載、四月欄{職制、組織により各人へ協力要請}との記載があり、依然票読みにつき職制の協力をあてにしていることから、名簿作成についても職制の協力を得ていることは間違いない。

(三)、票固めの実施

 1、職制の協力を得て、選挙人名簿が作成され、選挙人の投票動向が分析された後は票固めを行う。

  後述のKノートには、票固めを創友会と職制が分担していることが記載されている。また票固めにつき進捗状況が労担班長が主催する連絡会で報告され、報告にもとづき労担班長がはっぱをかけたり、また必要な指示を行うことが記載されている。票固めの手法としてソフトボール大会などスポーツ交流会が利用される。選挙の年にはスポーツ大会がさかんに開かれ、創友会主催であっても全従業具に参加が呼びかけられる。1992年5月に開かれたソフトボール大会を報じた作業長会ニュースには、作業長のほか、労担班長、更には室長までもが参加したことが報じられている。会社職制が参加するスポーツ大会となると、従業員は、成績査定への影響などの心配から出席を拒む事は困難である。1986年5月のスポーツ交流集会を報じた創友では、スポーツ大会後の懇親会に、創友会系の立候補者が顔を見せ顔を売っていることを報じている。スポーツ大会が票固めであることは創友会幹部神尾も地労委で自認しているところであり、スポーツ大会が会社ぐるみの票固めの場であることは明らかである。

  以下証拠に表れた会社ぐるみの票固めの実態を述べる。

 2、1982年、技術研究所支部選挙

  前述の1982年技術研究所における支部選挙゛の際作成された創反会技研班の組合役選対策案を見ると、3月に第1回の集計が行われそこでなされた分析をもとに、4月、作業長会、工長会、三役の交流会を階差押し、春闘報告会で役選勝利に向かっての集会を開き、5月に創友会と作業長会、工長会が分担して、「不安定的な員数を零に持っていくように活動する」と記載されている(同)。具体的には、5月にはソフトボール大会などのさまざま行事があるので、そのような機会を利用して得票活動を行う。そして6月には第二回集計が実施され、反対の者の最終確認をする。そして作業長会、工長会、三役の交流会を開き、一時金報告会を役選勝利にむかっての最終集会と位置付ける。創友会と職制組織が役割分担を行って票固めを行うのである。特に作業長は、人事権の一部である第一次の査定権限を有するため作業長に

3、ソフトボール大会を利用した票読み

  創友会の選挙運動として、ソフトボール大会などのスポーツ交流会が盛んに行われる。
例えば1982年6月のエネルギー支部選挙におけるソフトポール大会、1986年5月のソフトボール大会、1992年4月のソフトボール大会、同5月の五者交流ソフトボール大会などである。ソフトボール大会などスポーツ大会は、選挙がある年には頻繁に行われるが、選挙区毎に実施されるなど、票読み、候補者の紹介の場として位置付けられている。組合役員選挙の実施方法として、スポーツ交流の記載があり、また創友会幹部もソフトボール大会は重要な選挙活動と位置付けていると証言している。実際、第9期役員選挙が実施された1986年の12月に発行された創友会機関紙「創友」を見ると、ソフトボール大会の写真が掲載され、その後の交流会、親睦会に役選勝利に向けての掛けあいコール、完勝コールを行い、当時鉄鋼ブロックから執行委員候補として立候補した松元秀夫が交流に名をかりて票固めを行っている模様が写真に残されている。

  創友会主催あるいは創友会と職制共催のスポーツ大会は、創友会会員のみならず非会員も対象となり、非会員も事実上参加を強制される。即ちスポーツ大会には創友会会員であ る作業長が参加するが、作業長は部下を査定する権限があるため、大会に参加しないと創 友会の選挙活動の非協力者としてにらまれるためである。例えば第三期役員選挙が実施さ れた1978年6月に作成された創友会の幹事会の報告には、100%の支持を目指すこと、そのために職場各局の役付者に対して票読みを指示し、支持不明のものがあれば名前を明瞭にして報告することを求めている。ちなみに右記載の三行下にはソフトボール大会の記載がある。即ちこのように激烈な締めつけの下にスポーツ大会が票固めの場として位置付けられるのであり、会員はいうまでもなく、非会員も参加を強制されるのである。

  以上から創友会のスポーツ大会が重要な選挙運動の一環であることは明白であるが、本件で問題になった1992年、第12期の役員選挙においても5月2日多摩川のグランドで、職制、創友会、作業長会、工長会、組合支部の五者が合同ソフトボール大会を開催し部長、工場長、各ライン班長、そして労担班長らも職制チームを作って参加し、ソフトポール大会終了後、クラブで懇親会を開いている。当然クラブの懇親会に候補者が顔を見せ票固めを行った事が推定される。創友会の選挙運動であることが明白なスポーツ大会に労担班長、部長ら非組合員職制が参加して、創友会の選挙活動を応援すること自体中立義務違反であり、不当労働行為である。

  なお、Kノートの「57年9月9日の連絡会メモ」には、「調整金・・・役選で活躍した人、表面安全面」と記載があるが、この記載につき、同ノートの作成者である小林証人は役選で活躍した人に調整金をあげようと考えて、創友会会員だった青木を選び、その理由の一つとしてソフトポールで頑張ったことを上げた。即ち1982年当時、会社介入の先兵となり、地裁においても会社側証人として 証言した小林自身もソフトボール大会のスポーツ交流が票固めの重要な役割を期待されていることを認めていると言える。

(四)、資金援助

創友会の選挙活動に対し、会社から飲み食いの費用につき現金がでている。

1、例えば前述のHノートによれば、1968年の計装亀整備支部の選挙において、インフォーマルグループは四月八日、職務中の午後二時に、川崎駅西□にある「みその」において会議を開き、これを公用扱いにしてもらった上、職制から飲食代として5000円の寄付を受けている。同年5月にも課長を通じて課職制から寄付 を受けている。

  同ノートの10月21日の記載を見ると「作業長会の議事録はうまくないとの声が出ている。この次は費用をかけないで対処すること(この前は料理だけ見て、あとは課長、係長の方より出ている)」と記載され、作業長会に課長、係長から飲み代が出ていることを記し、かつ、議事録で飲み代をもらっておおっぴらに社外でのんでいることに対する職場の批判を気にする文面となっている。同ノート1月9日欄を見ると「午後4時30分より実行部会(課交渉)要員設定に関する件」「実行部長会議(課交渉)係長、課長より酒二本、ピールー打とおかず代1000円、帰りK係長宅による。全員」と記載され、労使の団体交渉直後に職制から酒、つまみ代が出され、なお労担係長K宅まで飲みに行っている。これも労使の癒着ぶりを示すものである。

  なお以上の外、1月7日に5000円、7月12日に5000円、7月31日に1万5000円、10月14日に1万円の寄付をもらっている。そして6月26日には奇怪なことに投票用紙作成の名目で1000円をもらっているのである。

2、 また1976年の第4期役員選挙につき、1976年9月27日付けの鉄鋼新聞  は「労担班長を通じて、150万円の役員選挙対策費が支出され、労働創友会の各種会議で飲食代として使われた」と報じている。

3、 また乙八〇号証は創友会小径継目無管班の会計報告であるが、創友会と会社から祝儀をもらったことを報告している。

4、1982年の第7期エネルギーセンター支部役員選挙において、前述のKノートの9 月9日の連絡会メモの箇所には、表面安全面として調整金が会社から出ている。買収による会社介入の手□が明らかにされている。

(五)、投票における干渉・介入

  選挙が選挙人の意思を反映するためには、投票の自由が確保されなければならず、そのためには秘密選挙が保証されなければならない。しかし、組合員の投票は会社の影響下に ある作業長によって占められた選挙管理委員会の監視下で行われ、選挙の秘密も十分保証 されていないため、組合員は不利益取扱を恐れて、創友会の対立候補に投票できない状況 にある。

1、例えば、一九八四年(昭和五九年)に実施された技研支部三役選挙において、技研支部全体を一括して開票したにもかかわらず、技研支部の京浜研の投票数が会社職制に判明するという不可解な事件が発生した。このことは投票の内容を会社職制が知っていることを意味する。

2、また1976年(昭和51年)の組合動力支部三役選挙においては、、組合員であったMは、開票業務に携わった選管委員から、「職場の投票数を確認するという名目で、各職場毎に投票箱を開けて、投票数を確認すると同時に、民主的な候補の入った票数をメモして、開票業務の終了後に、作業長に報告し、作業帳はそれを事務所に直ちに報告するという体制になっていた。それぞれの選管が票のとりまとめを行ったが、集計は一部の人が行ったので、最終の票の確認はその選管でもできなかった」との報告を受けている。その後会社側の候補者に投票しなかった組合員に対し攻撃が始まった。即ち「○○ 職場から○票入った。」「誰と誰とが票を入れた」と組合員に対する攻撃が強まったのである。

3、 1970年(昭和45年)水江地区のレバースエ場では、前述したように、会社の懇談会で支部長の立候補者をきめ、各職の詰め所に掲示する一方職制を通じて「○○には投票するな」という脅迫を行った(乙六七のI)。かかるあからさまな会社の介入に対して、本部選管も作業長、会社による介入の事実を認めざるを得ず、「1、投票の秘密を守る。このため作業長の目の前で書かせるようなことはしない。2、投票用紙は選挙人名簿と照合して、投票所で本人にわたす。代理人にはわたさない。もし、代理人にわたした場合は違反行為となる。3、選挙に対する会社の不当・不法な介入はやめさせる」などを確認せざるを得なかった。

(六)、開票段階における介入

1、開票の段階でも会社は介入する。

 役員選挙規定は開票につき、選挙管理委員会、開票従事者以外の者は選管の許可なく  開票所に出入りしてはならないと規定されている。本部選挙管理委員会は支部長、支部選挙管理委員会は支部委員会の指名によるのであり、執行部を独占する創友会系が選挙管理委員会を牛耳る。そして選挙管理委員会は、右規定を盾にとって、権利闘争すすめる会会員はもちろん一切の組合員の立会いを認めない。その結果密室の中で票の入れ替えが横行する。票の入れ替えは密室の中で行われるが、投票箱の封印の異常の目撃、開票結果の告知の際の票の数の矛盾などで表面化する。

2、投票入れ替えを直接裏づける証拠はSノートである

 Sノートは原本が存在し、Sの判も押されその成立は疑いがない。ノートの作成者Sは検査課の労務担当係員であった。そのSノートの記載内容は票の改ざんを記録したものである。まず1967年11月2日に一時金闘争のスト権確立を求めた投票結果が記載されており、左側に「生」とありこれが本当の投票結果であり、右側に修正した投票結果が記載されている。

  同2は組合が神奈川県評を脱退することの可否を問うた投票であるが(昭和42年9月)、ここで開票実務に立ち会える組合執行部の手によって「生」・および「修」として票の入れ替えをしている事実が明らかになっている。清野ノートは選挙に関するものではないが、以下述べる選挙に関する実例と重ね合わせると、選挙の際もSノートに記載されたと同様の票の入れ替えが行われたことは容易に推定される。

3、投票の入れ替えの具体例は以下のとおり無数にある。

  (1)、1968年 分塊工場

組合細片支部役員選挙において、投票箱の封印が‘投票時と開票時で異なっていた。即ち投票箱が入れ替えられた疑いが濃厚である。

(2)、1970年 機械工事支部旋盤職場

(@)組合大会代議員選挙で、Hが立候補し、優勢な情勢に驚いた選管である職場職制が、開票作業を一日伸ばそうとしたが皆の抗議により失敗し、その結果Hは当選した。

(A)支部役員選挙において、投票日3日目にもかかわらず、投票箱の封印が糊でぬれていた。開封して票を入れ替えたのではないかとの疑惑がもたれた。また投票箱の中から筆跡の同じ投票用紙が10枚重ねて折ってあるのが出てきた。おそらく作業長が10人分の票をまとめて投票したものと推定される(同)。票の書き換えもする(同)。
  また信任投票の場合、白紙投票が信任になるため、信任投票では投票用紙の記入場所に行くこと自体不信任票を投票するものとみなされ、記入場所に行こうとした者が投票管理を行っていた選管委員長に「そのまま投票すればいいのだ」と恫喝されるなど、選管によって自由な投票が妨げられた。

(B)、1976年
  選管が各職場毎に投票箱をあけ、投票総数と反対票をメモし、作業長に報告し作業長は 事務所に報告していた。集計は選管の一部の人間がする。

(C)、1982年 小径溶接管支部
   創友会と権利闘争すすめる会の候補者が立候補し激しい選挙戦になり、創友会系の候補者が当選したが、告示された選挙結果を見ると二人の候補者の信任票の合計と有効投票数と一致しない。単純な計算ミスというよりも信任票につき何らかの操作が行われた可能性が高い。
  同時期実施された電縫管支部総会代議員選挙において、運転班において、KとEの決戦投票となったが、開票に立ち会ったK・Tは自分の投票用紙が出てこなかったため、選管に抗議したがとりあってもらえなかった。即ち投票箱が取り替えられた可能性が高い。

  (七)、結語

  以上会社の介入は立候補者の選考、票読み、票固め、選挙運動に対する飲食費の提供、組合員の投票に対する介入、投票用紙の入れ替えまで、あらゆる段階で行われているのである。
  嘗て、フィリピンのマルコス、韓国の軍事独裁政権に於ける選挙の不正・悪質さは、国際的に有名であったが、NKK京浜製鉄に於ける労働組合役員選挙の不正・悪質さは、それ以上比較にならない酷さであると、当のインホーマル組織に加入している労働者の、証言であり嘆きでもあった。



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