ボランティア

10、孫子の兵法と10回党大会6中総の方針

     アメリカ式労務管理は、嘗て財界労務であった日経連が、御用学者や労務管理の専門家を集め、アメリカ輸入の労務管理を下敷きに集団で検討し、財界の総力を挙げて日本の実情に合わせて具体化し作成された労務管理政策です。これが、各企業の労務担当者によって更に詳しく経営実態に合わせて策定、鎧が隠され職場に取り入れられます。これが実施されて行くと、とても階級的・民主的な活動家が個々バラバラにに対応していたのではとても太刀打ちできる筈もなく、全体的に押し込められ後退せざるをえませんでした。

 ケネディ・ライシャワー路線で行き詰った共産党は、1968(S43)年2月29日〜3月6日に、第6回中央委員会総会(第10回大会)を開催し、「労働戦線の階級的統一をめざす、労働組合運動のあらたなな前進と発展のために」と題する政策を決定し発表しました。ここで共産党の、労働運動に対する本格的で全面的な方針が確立され、現在でもこの基本政策は営々として生きています。この方針は、全く新しい資本の作戦攻撃に、未だ防御し闘う術を持たない労働者に、どう闘えば良いかの知恵を与えたものです。孫子の兵法を学び糧として作戦を立てる羅針盤の役割を果たす、大きな意味を持つことになりました。ただ、A4サイズで77枚に及ぶ大論文ですので、ここで全文を掲載する必要性はなく、私が関連する重要な部分をコンパクトに纏めた要旨を、以下掲載しておきます。

6中総では、労働組合運動の真の統一を前進させる四つの基本的な方針が提起されました。

孫子十三篇
(1)労働組合運動の全戦線で、労働組合の階級的、民主的強化の
活動をつよめ、労働者と労働組合の階級的団結をさまたげている
障害をとりのぞくこと。とくに「特定政党支持」の枠をやめさせ、
政党支持の自由政治活動の自由の原則を確立させる。

(2)労働者の切実な経済的、政治的要求にもとづいて、一致する
要求で統一行動を、全国的にも、産業別的あるいは地域的にもす
すめる。

(3)労働者と労働組合の統一をさまたげる、反共主義、分列主義、
労資強調主義の主張や行動に反対し、これを大衆的に克服する。

(4)広範な未組織労働者を、労働組合の階級的、民主的な諸原則
に基づいて組織する。

 というものであり、労働組合は、資本からの独立、政党からの独立を明確に掲げ、一致する要求で統一し、どんな組合であってもその中での多数派形成を目指していずれ主導権を獲得することを目標に努力し、分裂組合を結成して割って出ることを厳に戒め、未組織労働者を組織し、組織を拡大していくという内容です。
     
     10回大会6中総決定が提起され、ケネディー・ライシャワー路線によって停滞していた労働運動の分野でも、その方針の実践によって、一定の活性化が図られ活路も拓かれてきました。6中総の具体化の一例として、1969年2月から職場政策をつくり毎週一回門前で配布し労働者に呼びかけたものがまとめられ、1970年6月に「紙の弾丸」(ー職場政策とビラ宣伝活動ー)として発行・宣伝され、全国の経営支部組織に普及されました。これをキッカケとして、経営支部組織の「公然化」(74年)の方針化が準備され、自前で工場門前での政策・要求ビラ宣伝が組織されていきました。

 反面、公職選挙では共産党国会議員数の倍々ゲームと言われ、共産党と革新勢力が躍進していった時代的な背景も生まれました。1971年4月に行なわれた第7回いっせい地方選挙では、革新統一候補で東京都知事に美濃部亮吉氏が、大阪府知事に黒田了一氏が当選し、川崎・吹田・高松等の自治体で革新統一首長が勝利し、その後の革新自治体躍進のはしりとなりました。翌1972年12月10日に実施された、第33回衆議院総選挙で共産党は革新共同を含めて39議席と、沖縄人民党を合わせると40名となり、野党第2党に躍進しました。1973年4月には、民青同盟員が20万人を越え、日本の青年組織としては一大勢力に発展しました。同月末に行なわれた名古屋市長選で革新統一候補が当選、羽曳野市長選でも革新共同の候補が当選して、それ以前から存在する京都府知事、その後誕生した神奈川革新県政を含めて、文字通り革新自治体の太平洋ベルト地帯が形成されていきました。更に同年7月行なわれた東京都議選でも24議席(現有13に減)と躍進し、公明党の26議席に次いで第3党となりました。

 1974年6月(12大会 中総)で、「三つの自由」(@生存の自由A市民的政治的自由B民族の自由)が提起され、党内外の論議を経て内容を発展させてそれを集約し、1976年7月28日に開かれた、第13回臨時党大会で「自由と民主主義の宣言」が採択され、「職場の自由10ヶ条」も大々的に発表されました。そして、「職場に自由と民主主義を」が強調され、日立武蔵の女性労働者をガラスのオリと言われる隔離部屋に閉じ込められた事件を解決(76年8月)させたり、企業ぐるみ選挙反対の闘いが盛り上がっていきました。
 1976年10月には、「職場の自由と民主主義を守る全国連絡会」(職自連)が結成され、翌77年2月20(日)〜21(月)伊東のホテルで第一回全国交流集会が開催され「職自連」運動は全国の職場・地域に波及していきました。神奈川では79年3月4日に結成されました。

社会科学の思考法(唯物論的弁証法)

 この項では、職場の問題が主である筈なのに、企業の外の選挙や全国的な運動が強調され、職場問題が軽視されているかに感じられてるかもしれません。その関係を理解して頂く為、社会科学の思考法を若干解説しておきます。

    唯物弁証法の思考法

@ 物事は絶えず変化し発展する
  平家物語に「諸行無常」という言葉がありますが、世の中の一切のものは常に変化して、永久不変なものはないということです。世界は絶えず運動し、変化し発展しているといえます。併せて人間の思想や意識も変化し発展しています。一時的には反動化・後退する事もありますが、長い尺度で見れば確実に発展し前進しています。民主主義と言う観点でも、明治時代と現在では大きな進歩があります。

A 全面的な見方
世界の全ての物事・現象は、それぞれ個別に発展しているのではなく、たがいに結びつき関連しあって発展しています。そして、物事や現象の変化を反映して、人間の意識や思想もたがいに影響しあって変化していきます。

B 対立物の統一の法則
敵対し対立する二者は、相手より勝ろうと切磋琢磨しますから、物事の発展の原動力であり核心です。発展の原動力は、物事の内部にあり、自己運動によって変化します。外部からの働き掛けや力は、物事の変化・発展を促したり妨げたり影響は与えますが、原動力にはなれません。例えば、議員が靖国神社へ参拝に行けば、中国や韓国から激しく非難され、国民が批判するより神経を尖らせます。しかし、こうした議員を無くす事は、選挙で落選させる日本国民しか出来ません。

C 量的変化と質的変化、その相互変化
水を加熱していくと、100°Cで沸騰し、蒸気という気体に変化します。逆に冷やしていくと0°Cで凍結し氷という固体になります。水はいきなり沸騰はせず、温度と言う量の変化が進み、蒸気と言う質的変化が準備されます。100°Cで沸騰し蒸気になりますが水と違い爆発的なエネルギーを出します。質的な変化が飛躍です。

D 否定の否定の法則
マイナスとマイナスを掛ければプラスになります。「無い筈はない」と言えば「有る」事になります。ただ、弁証法的な否定は、古いもの・反動的なものを否定し、新し物・積極的なもの・進歩的なものを引き継ぎ発展させる、肯定を含んだ否定でなければなりません。

   まとめ
 唯物弁証法の概略を説明しましたが、職場の内部の変化前進は、基本的には職場の内部で多くの労働者が自覚を高め発展させるのが中心ですが、BCで示したように外部からの力や変化も大きく影響します。又、今回の選挙でも明確なように、前進したり後退し逆戻りしたりたり、直線的に前進するのでなく、否定の否定によって、らせん状を描いて進むことになります。

 このように、10回党大会6中総決定は、一政党の提起した方針ではあるが、1960年を起点として始められた労働者に対する資本の本格的な攻撃と、ケネディー・ライシャワー路線によるアメリカ式労務管理によって押し込められていた労働者に、孫子の兵法とも言うべき明確な闘う羅針盤を示した事になります。そして、逆に押し返し反撃し攻勢に出る出発点として、労働者と民主勢力を励まし、70年代に力を発揮し革新勢力が躍進する基盤をつくる役割を果たしたと言えます。


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